Turker Alkan コラム:普遍化する文化
2008年04月23日付 Radikal 紙

[『サバフ』紙のコラムニスト]メフメト・バルラスは月曜日に掲載された論説のなかでこんなふうに述べていた。「たとえば、日本は、彼らの様々な伝統をまもるだけではなく、それと同時に、近代化し、発展したのだった。」こういった見解は、度々いわれるものである。

まるで、経済やテクノロジー上の発達は、文化や諸価値には全く何の影響を及ぼさなかったかのようだ。こういった見解は、ズィヤー・ギョカルプも主張したのだった。彼は、科学やテクノロジー、経済に基づいた「文明」は普遍的なものであり、宗教や芸術、様々な価値判断に基づいた「文化」のほうは、ナショナルなものであると主張した。

しかし、こういったことは不可能である。「西洋の文明(科学やテクノロジー)は取り入れよう。けれど、西洋の文化(価値)は受け入れないでおこう」とは、もうまったく愛らしくて魅力的な処方箋ではあるのだが、しかし、現実的ではない。文明と文化の間でなされる区別は、人為的なものだ。農業に根ざした村落社会から工業に根ざした都市社会へと、その諸価値を損なうことなく移行するのは不可能だ。長年、「けれども、日本はこれを成し遂げた」と我々は言い張ってきた。

しかし、現実にはこうだ。日本も成し遂げられたわけではなかった。随分と前のことだが、『ヨン』誌においてニヤーズィ・ベルケスがこの問題について論じたことがあった。「日本は彼らの文化をまもりつつ近代化したとの主張は、現実を反映していない」とベルケスは述べたのだった。いまから数年前、私には、日本を訪問する機会があった。正直なところ、[日本で]私は、伝統的な男女関係や、家族の絆や、若者と年長者の役割を目にしたわけでもなければ、古のサムライやショーグンやエンペラーの息吹を目の当たりにしたわけでもなかった。日本社会も、近代化したあらゆる社会と同じく変わったのだろう。そもそも、権威主義的な社会から民主主義的な社会への移行は、根本的な文化的変容なくして、一体どのようにして可能なのだろうか?日本は、100年前の父祖の国にではなく、むしろ、今日のアメリカ、あるいはイギリスと似ている。価値観、[男女、家族、老若といった]役割モデル、生活嗜好は、そういった方向に変化したのであり、今も変化し続けている。人間にとって最もデリケートな問題のひとつこそが「文化変容」だ。人間というのは、文化的に見て自分たちが変わってしまったことや、変わらざるを得なかったことを、そう易々と認めはしないし、認めたがるものではない。なぜなら、「文化」とは、人間を人間たらしめ、定義している諸要素のなかで、その最たるものなのだから。

エルドアン首相が「私たちは、西洋の科学やテクノロジーよりも、むしろ彼らの不道徳性を取り入れてしまいました」と語るとき、いささか乱暴ではあっても、彼はこういった議論における彼自身の立ち位置を明示していたのだった。

我々は実際、西洋から様々なものを取り入れ受け入れ、おまけに不道徳性も取り入れたが、それ以外に何か取り入れたものがあっただろうか?きっと、これは正しい見方ではない。我々は西洋の科学やテクノロジーを取り入れたけれども、それと同じように、プラスやマイナスの効用をもつ彼らの価値をも随分たくさんと取り入れ、今もなお取り入れ続けている。「民主化パッケージ」、「刑法301条についての議論」といった事柄は、本質のところで幾つもの道徳的な選択に関わるものではないのだろうか?一方でそのような議論を行いながら、他方で「不道徳性以外は何ひとつ取り入れなかった」と語るのは、どれほど正しいものなのだろう?

他方、東洋の近隣諸国から届く価値判断の様々な例も、我々を考え込ませるものだ。「神よ、神よ、これは一体どうしたことでしょうか?」と言いたくなるような事柄に出くわさない日はない。

昨日の『ミッリエト』紙のニュースによれば、「イランで男性と同等の地位を求めたナスリーン・アフザーリー記者(女性)は、「社会秩序を破壊した」かどで有罪とされ、禁固6ヵ月と鞭打ち10回の刑で収監された。」

民主主義に基づくものの見方が行き渡るにつれて、社会の文化的価値も徐々に普遍的な性質を帯びるようになる。東洋的か、西洋的かといった次元を脱して、人間というものが相分ち合う現代的な選択という様相を帯びるのだ。

そして、一方ではEU加盟のために力を尽くしていると語る首相の「EUから我々が得たのは、ただ不道徳性ばかりでした」という発言を読み解くために必要なのは、東洋学者なのでしょうかね、はてさて?

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:13654 )