Ismet Berkan コラム:AKPの抱える矛盾(1)―「中間所得層」の政党AKP
2008年05月07日付 Radikal 紙

この図(※原文参照)をご覧になったことがあるかもしれない。1年前の2007年5月15日にこのコラムで初めて紹介した図である。数字は2003年から2005年の間のものである。本来ならこれらをアップデートする、すなわち2003年から2007年までの期間をカバーさせることができるが、私はうまくできなかった。しかしアップデートは有益である一方で、我々にこの図がすでに物語っていること以上の事柄を何も物語らないだろう:トルコは経済発展を続けたため、所得分布も相対的に見て改善し、この改善の結果、社会の最も貧しい人々が相対的に減少する一方、中間層とでも性格づけられる中間の所得グループに属する人々の数が増しているのだ。さらに少々余計なことを付け加えるなら、共和国史上初めて中間所得グループに属する人々の数が下位と上位の所得グループに属する人々の数をかなり越えた状態にある。
この経済発展が社会や政治にもたらした影響は疑いなくある。さあこのことをもう少しクローズアップして見てみよう...

社会をおおまかに3つに分けてみよう:貧困層、中間所得グループ、そして富裕層に。
私の見解はこうだ:2002年選挙では「富裕層」から公正発展党(AKP)へ票は全く行かなかったか、無視できるほど少なかった。その選挙でAKPが得た36パーセントという得票は、大半が「貧困層」から、また部分的には「中間所得グループ」からやって来た。
2007年選挙となったとき、5年間成功を収めたAKP政権は得票基盤をも変化させていた。今回もAKPは主には「貧困層」の政党だったが、貧困層に属する人の数が減ったため票数も減少した。「中間所得グループ」は今回、AKPの票の最も重要な部分を構成した。なぜならAKPは過去5年間でこのグループに大変大きな所得移転を行ったからだ。前回の選挙とは異なり、それほど多くはないものの「富裕層」でもAKPに票を投じた人がいた。
そもそも票を投じた人のおよそ半分(47パーセント)の票を得ることは、こういう形でしか実現しなかったかもしれない。

もしこの分析が現実の状況を反映しているなら、ここで私が取り上げた3つのグループ、あるいは社会階層の、政治に対して予想される期待についていくつかの推測をすることが可能だ。
最も下の人々、または「貧困層」と呼んだ階層をもしかして次のように名付けることができるかもしれない:失うものは何もないが、得られるかもしれないものは多くある人々。そうしてこの理由により、この階層は自分たちを代表し、自分たちに希望を与え、よりよい生活を約束する政党の後について行く用意がある。しかし国が希望を失ったとき、容易に流民化し、どこでいつ爆発するか分からない時限爆弾に変化しうる。
真ん中の人々、「中間層」あるいはより正確には「中間所得グループ」を、「得られる多くのものがあるが、失うものも多く出来つつあるグループ」と名付けて差し支えないと私は考える。銀行に車や家の借金があり、新たに手に入れた平穏な生活の味わいに慣れ、子どもを私立の学校にやっているかやることを夢見ており、微妙な財政バランスの中で将来への期待を抱いている階層である。そして最も小さな経済危機の可能性や、最も小さな政治的不安定さの可能性もまず始めにこの階層を不安にし、まず始めにこの階層が反発を示す。実際、例えばCNBC-Eテレビ(※トルコの民間の経済チャンネル)が毎月調査している「消費者信頼感指数」が今月、測定開始以来今日までで最も低い水準に低下したことは、この階層が解党訴訟か別の経済的不透明さについて即座に不安にさいなまれ、ブレーキをかけたことの最も重要な現れである。
そして最も上には「富裕層」がいる。彼らが何であるかはその名前から明らかだ。そもそもわずか一部にしかAKPに投票した人はおらず、失うものは多くあり、今の政治的不透明さは彼らにブレーキを踏むことを強いている。AKPからも疎遠になっている。

***

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、土曜日の夜、イスタンブルで出席した友人との会食の席で、伝えられるところによると経済的な不透明さを払拭するために解党訴訟の結論が一刻も早く出ることを期待していると話したらしい。やはり伝えられるところによるとエルドアンは、重要なのはアナトリアの中間層が経済的に悪い影響を受けないことであるとし、将来も政治的活動をこの階層の上に築くつもりであるというシグナルを発したらしい。
私の考えでは、首相の分析は基本的には正しい。
そもそもAKPこそがこの階層、つまりアナトリアを含むトルコ各地の都市で生活する中間層を大規模に生み出した政党である。
だが問題は初めからAKPが村人の政党として出発したことであり、途中で自らを都市に暮らす新しい中間層の政党にすることに成功するか否かということであった。
中間層の政党になるということは、厳密なイデオロギーや、イデオロギー的な、あるいは大きな政治的論争の(政党)ではなく、大衆の、仕事を論争を起こさず静かに遂行する政党となることを意味する。しかし実際は、AKPは(2007年)7月22日の圧倒的な選挙の勝利以来それとは正反対に、イデオロギー政党のように行動し、あらゆる機会をとらえて論争の種を探し、争いを仕掛け、自分たちを攻撃する者たち全てにけんかで応酬しており、やったことのいくつかによって票を投じた人々を裏切っている。
首相が遅くはあっても中間層が「失うものがあること」を認め、彼らが(失うであろうものを)失わないために努力することは正しいことだが、次のことを忘れるべきではない:AKPについて(憲法裁判所という)不当な場所へであっても解党訴訟が起こされていることさえ、当の中間層から見れば恐ろしさを感じたり、ぞっとする原因となっていることを。

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この分析をもう少し続けよう。さてどこに行き着くだろうか...

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( 翻訳者:穐山 昌弘 )
( 記事ID:13775 )