Metin Munirコラム:F1、トルコ人の大間違い
2008年05月10日付 Milliyet 紙

フォーミュラ1は、トルコがトルコに働いた最も大きな詐欺のひとつである。
話は2000年ごろ、一部の抜け目ない連中がフォーミュラ1をトルコに呼び込むために、ある会社を設立したことに始まった。
世界レベルのプロの経営者、実業家、コンサルタントらも名を連ねるこの抜け目ない連中は、嘘八百の統計を用いてフォーミュラ1がトルコにとって有益なものであるという印象を広めた。
彼らは世論とメディアのほとんど全てを騙した。しかし彼らはフォーミュラ1の年間収入が、コース整備と事業支出さえも賄えないことを知っていた。このようなもくろみの甘い仕事に慣れたイスタンブル商業会議所(ITO)を、プロジェクトの支出を負うように説得することは難しくなかった。
その当時、スポーツの責任者でもあった副首相兼国務大臣のメフメト・アリー・シャーヒン氏と、財務大臣だったケマル・ウナクタン氏の支援を彼らは取り付けた。エルドアン氏をもこの事業に巻き込んだ。
シャーヒン氏の支援で、ワクフ総局のイスタンブル県ペンディキ郡テペオレンにある2200ドニュム(約202ヘクタール、1ドニュム=919平方メートル)の土地が、フォーミュラ1関係者らに用意された。しかし、そこは大学建設のために用意された土地だった。フォーミュラ1レースの行われた15のヨーロッパとアメリカ大陸の国のうち、ひとつとして国家はレースに融資していない。これらの国では、事業はリスクも利益も完全に民間に任せている。我国の抜け目ない連中と政界の協力者らは、トルコでの事業を、国家と半官組織である商工会議所に押し付けた。ウナクタン氏とシャーヒン氏はいかなる見積書も目を通さず、小切手にサインした。ウナクタン氏はレースの主催者であるフォーミュラ1協会に、トルコとして2011年までに9450万ドルを支払うことを約束した。シャーヒン氏は、コースが期限内に完成しない場合には、2500万ドルの保証金を支払うことを認めた手紙を渡した。
コース建設費用は6000万ドルで収まるはずであった。当時 ITO会長だったメフメト・ユルドゥルムは、事業をある会社へ入札なしに与えた。経費は天文学的数字に跳ね上がり始めた。ITOの予算では間に合わなくなった。首相は足を踏み入れてしまった。トルコ会議所・商品取引所連合、そしてイスタンブル市も疑惑の手をそのポケットに隠してしまった。当時も今もITO執行部にいる人の情報によると、6000万ドルで収まると見込まれた建設には、「3億~4億ドル程のお金が使われた」。
建設は2005年8月に終わった。首相によってオープン式典が行われた。しかし、偽装者らの見込んだ収入は得られなかった。彼らは世界で35億人がフォーミュラ1レースを観戦するはずだと言っていた。しかし観客数は3億人にもならなかった。レースを観るために15万人近い外国人がイスタンブルを訪れ、「軽く見積もって」8500万ドルの金額を落とすはずだった。(現実には)1万5千人も来ず、150万ドル程の金額すら落とさなかった。
世界でフォーミュラ1の施設にこれほど金を注ぎ込み、これほど少ない収入を得た国は2つとない。施設がオープンした年、通商産業省の会計監査官はユルドゥルムITO会長に対して、訴訟をおこすためイスタンブル検察局に告訴した。ユルドゥルム氏について、フォーミュラ1の建設において不正がなされており、余分に何兆も支払われたとして訴訟が起こされた。先日、訴訟を起こした検察官は、訴訟書類を取り下げ、ユルドゥルム氏の釈放を要求した。
政府は、施設を活用できないため、年間3百万ドルでフォーミュラ・ワン協会に賃貸した。同じく、政府はレースがイスタンブルで行われるために毎年この会社に1350万ドルを支払っている。レースが行われた後は、門は施錠され、362日後に再びレースが行われるまで、こうして閉鎖されたままでいる。
私が思うに、この門には次のような看板が良く似合う。「神よ、トルコ人をトルコ人から守りたまえ!」

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( 翻訳者:林 奈緒子 )
( 記事ID:13783 )