モッタキー外相、在ロンドン・イラン大使館テロ事件のテロリスト引渡しを要求
2008年05月13日付 E'temad-e Melli 紙

【エッテマーデ・メッリー】イラン外相は、イラン暦1359年〔西暦1980年〕に起きた在英イラン大使館へのテロ行為に関与し、現在唯一生き残っているテロリストを、公正な裁判のために可及的速やかにイラン政府に引き渡すよう、英政府に期待を表明した。

 「1359年に発生した在ロンドン・イラン代表部に対するテロ行為の殉教者ならびに被害者の権利を擁護する委員会」の会長及び委員らは、イランのマヌーチェフル・モッタキー外相と面会し、イラン・イスラーム共和国とこのテロ犯罪の生存者・遺族の権利実現を求めた。

〔中略〕

 この面会の中でモッタキー外相も、イギリス政府のロンドンでのテロリズムに対する無関心や無頓着、さらには支持が原因で発生した苦いテロ事件に対して遺憾と悲しみの念を表明し、次のように強調した。「この問題については、イギリス当局と常に率直に話し合いを行っている。実際この問題は、我が方とイギリス政府との協議ではいつも議題として取り上げられている。この事件のテロリストの唯一の生存者が、公正な裁判のために可能な限り早く、イラン・イスラーム共和国に引き渡されることを望む」。

 外相は、イギリス裁判所の疑惑の決定によって、同テロリストが釈放される可能性に言及し、次のように述べた。「このような対応は、犯罪者やテロ行為を擁護しているとして、イランや中東地域、そしてイスラーム世界の人々のこの国に対するイメージを著しく損なっている」。

〔中略〕

 イラン大使館人質事件の犯人引き渡しがイラン当局の関心を集めるきっかけとなったのは、ロンドン発行の「Daily Mail」紙が「イラン大使館職員人質事件で九死に一生を得たテロリストは近々釈放される予定であり、イギリス政府から亡命許可を得る可能性もある」と報じたことだった。

 問題の人物は「フォウズィー・バダーヴィーネジャード」という名で、29年前の在ロンドン・イラン大使館に対する武装襲撃及び職員人質事件の後逮捕され、終身刑を宣告されていた。

 フォウズィー・バダーヴィーネジャードはイラン暦1359年オルディーベヘシュト月〔西暦1980年4~5月〕に他の5人の人物と共に在ロンドン・イラン大使館を襲撃し、26人を人質に取った。人質犯らは、当時イランで収監されていたとされる、あるアラブ人政治団体の活動家91人の釈放を求めていた。

 人質事件が発生した6日間で、人質のうち5人が解放されたが、人質の一人で同大使館の広報参事官であったアッバース・ラヴァーサーニーは、犯人たちの手により殺害された。人質事件は最終的に、当時のイギリス首相マーガレット・サッチャーの直接的な命令のもと、イギリス陸軍特殊空挺部隊SASの介入によって終結、この間人質からさらに一人が死亡した。

 この作戦で、犯人グループの中で唯一生き延びたのがフォウズィー・バダーヴィーネジャードであった。

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( 翻訳者:佐藤成実 )
( 記事ID:13827 )