Turker Alkan コラム :女性が何を着たっていいじゃありませんか!
2008年05月21日付 Radikal 紙

女子大生たちはイスラーム風スカーフを被るべきなのか、被るべきではないのか?この問題に関して憲法改正までもが実施された。憲法裁判所の意向についても遠からず我々の知るところとなる。

「大学ではイスラーム風スカーフについて自由であるべきた」とおっしゃる方々が主張する議論というのがあって、以前は私もこの考え方に賛成したものだった。この考え方によれば、イスラーム風スカーフというのは、保守的な家庭環境にある女性たちが社会生活へ参画することを容易にする一種のヴィザだと捉えることができるかもしれない。頭部を露にしたままでは就学したり就業したりすることを許さない家族も、娘たちが「[頭部を]覆った」場合には就学や就業をより難なく許すだろう。女性が教育を受け経済活動に参画することはといえば、世俗主義を傷つけるのではなく、むしろ、強化する効果を生むことになるかもしれないのだ。

これは、ちっとも由々しき議論ではないと私には思われる。とりわけ、社会学的観点からすれば、だ。しかしながら、先頃、クウェートで起こったある出来事は、私がこの件について疑念を抱く原因になった。

クウェートは、大多数の中東諸国とは正反対に、数年前に女性に選挙権と被選挙権を与えた。[その後]実施された初の選挙では女性は誰一人として当選しなかった。数日前[に実施された]何人もの女性たちが立候補した2度目の選挙でも、一人も女性は当選しなかった。定員50名の議会に27名の女性候補者がいたのである。そして、登録されている有権者のうち55パーセントは女性だったのである。[にもかかわらず、]女性が女性に票を投じてはおらず(!)、男性を選んだのである。

なぜだろうか?理由はただひとつだと思われる。何千年と積み重なってきた幾つもの先入観だ。女性が頭に何を被ろうが、その構成員である男性、女性を含めた社会が様々な先入観から自由になることなくして、真の意味での社会変化が起こりうるとは思われない。スペインで新たに発足した内閣はその半数以上を女性が占めているが、その一方で、クウェートの女性たちは自分たちに与えられた権利を行使するにあたっては無力なのだ!

既成の文化的諸条件が、クウェートの女性たちをこのような対応に向かわせているのである。このような既成の文化的条件の一シンボルであるイスラーム風スカーフの大学における自由化が、女性の解放にどの程度寄与するのか、本音を言えば私は確信がもてないでいる。

既成の文化的諸条件が女性-男性関係にまで及びうるという次元を、おそらく、サウジアラビアでの先頃の一件が示しているのかもしれない。ある男性は、30年間連れ添っていながら、いまだ己の妻の顔を見たことがなかった!

妻は、夫妻が暮らす地方の諸伝統に従って、夫に自らの顔を見せていないのである。旦那さんは「妻はいったいどんな人なんだろう?誰に似ているのだろう?」とひどく気になっていた。こうして、ある夜、妻が眠っている隙にこっそりとぺチェ[ヴェールの一種]をはずして妻の顔を拝もうとしたところ、現行犯で逮捕された。かくして、妻は離婚訴訟を起こした。ええ「ブルカより酷いものはなし」だと思います。けれども、こんなふうにあるかもしれないのですよ!

女性と男性とを区別する幾つものシンボルは、往々にして女性に反するように作用する文化的諸遺産の証しとして登場する。問題は、イスラーム風スカーフやペチェ、ブルカやチャドルだけの問題ではないのである。そもそもの問題は、女性たちが自らを男性と平等の存在だと捉えるかどうか、また男性たちがそういった考え方に賛同するかどうか、という問題なのだ。

クウェートでの事例のように[女性たちが]自分たち[と同じ女性]に投票しないほど無価値な存在だと自分たちを捉えている限り、道程はいまだ遠いということである。女性が何を着たっていいじゃありませんか!

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:13878 )