Besir Ayvazoglu コラム:ニコチン中毒文学論
2008年05月22日付 Zaman 紙

ひところ、風刺画家が画家[の姿]を描く場合には、すぐさまその手にパレットを一枚持たせて、頭にベレー帽をかぶらせて、あごひげを生やすものだった。[風刺画のモデルが]詩人だと描き分けるための小道具はといえば、彼らにとってはタバコだった。

風刺画家というのは、[モデルの]誇張できそうな隙には目聡い危険な人々である。彼らが、詩人のその指の間や口元に、燃えカスの灰が長ったらしくのびたタバコを描くということは、このことが、文学界にニコチン中毒が蔓延している証拠だと見てよい。私の手元のデジタル史料を検索してみた。すると、-信じられます?-何ら苦もなくタバコと一緒に写った何十人もの詩人や作家たちの写真が見つかった。ヤフヤー・ケマルからアフメト・ハムディ・タンプナル、ペヤミ・サファからネジプ・ファーズル、ヌールッラー・アタチから、オルハン・ヴェリ、ケマル・ターヒルからベフチェト・ネジャティギルに至るまで・・・。トルコの文壇がかなり昔からひどい「ニコチン中毒」であったことを示すこれらの写真のいくつかは、雑誌『チュルク・エデビヤトゥ』2008年6月号で、アリ・チョラクによる文章とともに、ご覧になれます。

故メフメト・アーキフは嗅ぎタバコを嗜むのが常であった。また、[ネジブ・]アースム[の作品]には、キョセ・イマームとホジャザーデとの間で交わされる嗅ぎタバコについての面白い対話[シーン]がある。ヤフヤー・ケマルがその健康を損ねたのはアルコール[酒]とニコチン[タバコ]が原因であったこと、そして、ケマルがこの両方を医師たちから止められていたことはご承知の通り。タバコは、レシャト・ヌーリー・ギュンテキンやマフムート・イェサリの体の一部であるかの風であった。特にレシャト・ヌーリーを描いた複数の風刺画では、長々と灰がのびたくわえタバコがお約束だった。ペヤミ・サファは、禁煙しようとしてもうまく禁煙できなかった作家の一人である。彼は「タバコについての私見」という題の文章で、「筆者のごとく頭脳を用いて働く者は、紫煙が脳という機械の潤滑油と化した習慣に対して、二つの選択肢のうちどちらか一方を選ばねばならぬ:タバコを喫み続けるか、タバコもろとも[作家という]自らの生業をも放棄するか」と述べていた。

「二月の朝」という詩の冒頭の節[ミスラ]は、ジャーヒト・スクトゥが夜も明けるか明けぬかの時分からタバコに火をつけずにはいられないニコチン中毒者のひとりだったことを示している。オルハン・ヴェリもジャーヒトに負けず劣らずである。彼は「客人」という題の詩で「昨日はひどく憂鬱だった。 宵のころまで。/タバコ2箱を空にしても効き目はなかった」と詠んでいる。タバコ中毒の詩人のうち最も有名なベフチェト・ネジャティギルは、「中毒」という題名の詩で喫煙者を街角でだらしなく点滅している街灯にたとえた。

不必要にコラムを延々と書いてしまわないように、あまり例を沢山挙げないようにしている。しかしながら、本気になって史料が渉猟されたなら、『トルコ文学におけるタバコ』と題した分厚い選集が一冊編めるはずだとは言っていい。そういった選集に収録されるであろう幾つもの詩の中に含まれるアリフ・ニハト・アスヤの詩「タバコ」は、タバコが手放せず、屋内での禁煙についてご不満の向きにとっては、とても好感が持てるであろうタバコ賛歌である。一緒に詠んでみましょう。
お前用のキセルは
もとは木の枝。
お前の煙の
もとは灰。
葉タバコは
もとはといえば草の筋。
手から
落とすなよ!
巻紙の色には
白もあれば
湖のような
青もあるのに。
なれば わずかばかり在っては如何か
花々のような
紅いものが。
空に 問いを お前は書きつけているのか。
風に
お前は何を問いかけるのだ。
長年
私たちは親族同然じゃないか。
諸々の手から
我を救いたまえ
お前の在り処は口の先
口をきいてもいいはずだ!
誰もお前を役立たずだと思うものか!
そうさ もし私とお前が望むなら
街のひとつだって燃やせるだろう。
幾つもの通りから
火の川だって流れるだろうさ。

故アリフ・ニハトが仮に存命だったとしたら、はたして、昨今について何を書くかといえば?私に問われるのであれば、〔それはきっと〕禁煙を持ち出した人々に対しての浴びせんばかりの毒の効いた皮肉・・・。

しかし、かつてのニコチン中毒者のひとりとして、私はとっても満足ですよ、ええ、とってもね。

どうかうまくいきますように!

注記:本文で言及した写真の一部が写真家アラ・ギュレルによって撮影されたものであること、そして、同氏が概して詩人や作家がタバコを吸っている時に撮影するのを好んだことをここに記しておきます。

【脚注】すばらしい禁止

禁煙法の施行が始まったその日、つまり先の月曜日、私はアルトゥンザーデからユスキュダルへ向かうにあたって[イスタンブルのアジア側を走る]黄色のドルムシュに乗ったのだが、その際に携帯電話で話していたイントネーションから推測するに東部出身だと思われる運転手の真後ろの座席に座った。荒っぽい運転手は携帯電話を閉じて私が差し出した運賃を受け取った後、一本のタバコに火を付け、うまそうに吸いはじめた。運転手は自分の側の窓ガラスを少しばかり開けたが、〔真後ろの席の〕私は、一部だとはいえ、煙を吸わされるはめになった。内心では「まだ初日だし・・・禁煙が始まったことを知らないな、こいつめ」と言い聞かせてやり過ごしつつ「我慢だ!」と耐えた。しかし、ユスキュダルの中心部に近づいた際に、奴が吸い切った吸殻を火がついたまま車窓から投げ捨てるに及んで、私の我慢も限界だった。

「恥ずかしいったらありゃしないよ、兄弟。私たちを煙まみれにしておいて、それでもまだ足りないのか?」と私は口に出した。
背後で、私が切り出したことで勇気付けられたある乗客の声がした。
「そのうえ、今日から屋内での禁煙が始まったじゃないですか。」

別の人が割って入った。
「吸殻が誰かに当たったりでもしたら・・・」

荒っぽい運転手は下手に出た。
「兄貴、大通りへ投げたんですぜ。誰もいませんぜ!」

今度は、ある女性乗客が「大通りはみんなのものよ。あんたに汚す権利はないわ」と言うではないか?

運転手は自分が間違っていたと思い当たったので、黙りこむのをよしとしたが、しかし、謝ったわけでもなかった。広場にあるアフメト3世チェシュメ[水場]の脇でドルムシュから下りる際に、乗客の一人が運転手に助言していた。「こんな言葉を二度と聞きたくなかったら、タバコは停留所で待っている時に吸ったらいい!」

正直にいえば、黄色のドルムシュでの乗客たちの異議申し立ては、屋内での禁煙が今後成功することについて、私に明るい希望を抱かせることとなった。

誰が何と言おうが、これはすばらしい「禁止」です!このやり方以外に、凶悪なニコチン中毒者たちの横暴から一体どうすれば逃れられるというのでしょうか?

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:13910 )