Taha Akyol コラム:軍、司法、CHP
2008年06月07日付 Milliyet 紙

憲法裁判所の決定に拍手を送る、または批判することはできる。しかし諸機関や社会を方向づける歴史的な動きに目を向けたほうが、より視野が広がる。こういった見方から見えてくる真実は、軍部、司法、そして共和人民党(CHP)が、政治形態という点でよく似た優先事項をもつ「歴史的な連合」を形成してきたことだ。

 ジェラル・バヤルが『カイセリ刑務所日記』に書いた1963年10月26日付の記録メモは興味深い。
「憲法裁判所というのは、まさに『ヤッスアダ法廷』が少々穏やかになっただけのものである…」
バヤルは手記において、ヤッスアダにおける法解釈は最高裁判所でも支配的なものであると記している。ヤッスアダにある革命裁判所が最高裁判所の判事達によって構成されていること、そして革命裁判所の裁判長であるサリム・バショルが憲法裁判所の判事とされたことも指摘する。自身について継続中の訴訟で裁判所をどうすれば信頼することができるのか、と問うている。 (151頁)

興味深いことに、当時、最高裁判所は、ジェラル・バヤルに「さん」と敬称を用いたザフェル紙の記者の有罪を承認しようとしていた!
そして憲法裁判所も、1960年クーデターを非難することをやがて罪とみなすのだった。(法令1963/83)

■「歴史的な連合」

 今日のトルコでは、軍、司法、そして共和人民党のあいだに有機的な関係を想像することすらナンセンスである。しかし、世界観、もしくは政治形態に関する優先事項という点では、これら3つの組織のあいだには思想的にかなり重複しているところがある。
これは歴史から来ている…
これ以外にも「歴史的な連合」はまだある。進歩主義者共和党(1924年)と自由共和党(1930年)から民主党、公正党、オザルの祖国党、今日の公正発展党へと至る、民衆に支持され、自由主義者達にも支持された歴史的連合である。

 民営化の決定や、第312条及び301条に関する議論を見てください。また367票をめぐる決定や、解党、憲法裁判所の最近の決定を見てみてください。第1の陣営は拍手喝さいを送り、もうひとつの陣営は公正発展党や民族主義者行動党も含め、批判をしているのだ!

 社会学の用語を使って中央と周縁の争いと言ってもよいし、政治学の用語で共和主義者と民主主義者の争いと言ってもいい。また、イドリス・キュチュクオメル、エロル・ギュンギョル、シェリフ・マルディン、ニリュフェル・ギョレのようにより詳細な分析をしてもいいのだが、ともかく状況はこれなのだ。そして問題もこれなのだ!こういった理由からなのだが、問題は法律的であると同じくらい政治的でもあるのだ。司法の決断は純粋に法的に判断されているのではなく、政治的な選択も含んでいるのだ。

■近代化の過程において
 そして国家に焦点にあてたエリート達の期待とは逆に、近代化過程が進むにつれてますます民主主義の議論が増大してくる。何故なら、都市化、教育、職業化といった動きと共に「周縁」にいる「無学で教養のなかった国民達」は学び、職を得て立身出世をしており、「中央」に参加し、平等になることを望んでいるからだ。このため、民主主義や自由主義的価値観をこれ幸いにと受け入れようとしている。トルコではリベラルな知識人たちが政治勢力になることの理由はこの社会学的な動きにある。
 相対する「ブロック」はこの発展を、「ああ、娘が大きくなって、言うことを聞かない」と言う権威的な父親のように、体制を失うことだと考えている!「世俗主義を自由主義にむしばまれないように」といった空虚で詩的な言葉で、世俗主義をますます狭めている!市場経済や民主主義、そして思想間の自由な競争を制限している。
しかし、我々に非常に似たフランスの経験が以下のことを示している。共和制も世俗主義も民主化しつつ、そして自由主義化しつつ、適用範囲を広げることができる。そうなって初めて、社会的エネルギーは闘争から発展へと方向転換できる。そしてそうなれば、中央と周辺の壁がなくなり、司法も自由民主主義を自分の中で消化吸収する。
時々、事故が起こったとしても、トルコの道はそれに向かって進んでおり、そこへ到達するのである。

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( 翻訳者:関口陽子 )
( 記事ID:14015 )