Can Dundar コラム:「男はフェルト帽をかぶるものさ」―カラジャヒサル村の教訓
2008年06月07日付 Milliyet 紙

ウシャク県のバナズ郡にはカラジャヒサルという名の村がある。地元では「フェルト帽をかぶった人々の村」として知られている。というのも、3世代にわたって、村の男たちは帽子をかぶらずに通りを歩くことがないからだ。私たちもドキュメンタリー番組で見たことがあるが、1920年代、軍警察がやってきて、「フェズ[トルコ帽]を捨てたまえ。今後はつば付きの帽子をかぶるように」と命じたそうだ。村人たちも、「たとえ[措置の背景が]政治的なものであっても[そりゃ悪くないな]」とフェルト帽をかぶりだしたそうだ。
時が経つにつれ、アンカラ[政府]の帽子へのこだわりは薄らいでゆき、帽子はクロークの片隅に打ち捨てられたけれども、忠実なカラジャヒサルの村人たちがフェルト帽を手放すことはなかったという。
結婚式やバイラムに限らず、畑へ行くにも、カフヴェへ行くにも、彼らはずっとフェルト帽をかぶっていた。かぶらないごろつきは嫁も取れなかった。葬式では棺の上に帽子がのせられるのだった。彼らにとっての唯一の頭痛の種は、新しいフェルト帽が見つからないことだったそうだ。

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国民全員に帽子をかぶるよう強制する法律に誰も彼もが反対しているときにも、完璧な責任感を感じて常に帽子をかぶっていたのだから、カラジャヒサルの村人たちは「最も信ずるに足る国民」だと称されるべきだ・・・。
この国の人々は、物心ついたころから身につけている服装のゆえに、お互いに、また国家との間で論争が絶えない・・・。そのうえ、昨今このような論争は段々と深刻なものになってきている。
先週1週間のニュースをご覧になるだけでよい:
・サパンジャで、通りをタイツ姿で歩き回ったからと襲撃された男子漕艇部・・・。
・ボドルムでスカーフをかぶっているからとホテルに受け入れてもらえなかった女性・・・。
・そして、憲法裁判所のスカーフを大学から排除する旨の先の判断・・・。
自分たちがいかに憐れなテーマの枠内でやりあってしまっているか、私たちは気付いているだろうか?

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私個人は、女性をまるで髪の毛を見せれば男性が惑わされるオブジェでもあるかのように考える、そんな精神性とは程遠い。
このような見方は女性を奴隷化しているように、私には映るのだ。
次のように言わねばならない。
10人そこらの男が議会に集まって「女性は頭をどんなふうに覆ったらいいだろうか」などとナンセンス極まりない法改正を行うこと、11人のメンバーのうち9名が男性である組織がそれに異議を唱えること、そしてこれら全てのプロセスで当の女性たちの見解が全く問われないこと、どれをとってみても、女性の奴隷化の中に含まれるだろう。
アタテュルク廟やホテル、大学や軍施設にスカーフをした女性を受け入れないでおいて、一方、女性はスカーフをかぶりなさいと強制する男どもが大手を振って[それらの施設に]足を踏み入れるというのはどうも腑に落ちない差別ではあるまいか?
「娘たちを学校に」キャンペーンを企画する一方で、いざ大学へやってきた娘たちには「家へ帰りたまえ」と言うことを、無意味だと言わずしてなんと言おう?

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「スカーフ派」についていえば・・・。
政権が、問題を単なる[選択の]自由にまつわる攻防の枠を超えて、政治的主張へと転化させたこと、更には、公務員にスカーフ自由化が適用されるのではないかという疑念に説得力のある信頼性を付与できなかったことが、世俗派の世論を「禁止歓迎」の側へと引き寄せたのだった。
昨日まで各大学の門前でデモを行っていたスカーフ姿の娘たちが、「この政権は私たちの側にある」との論理に立つばかりに、[実は]彼女たちに向けられた差別に声を上げないことは、更に、頭をどのように覆うのか、法律に写真つきで明示されかねないことに彼女たちが声を上げないことも、「彼女たちの悩みは別にあるのではないか」と[人々に]言わせることとなった。

***

これで問題解決だと考える方々は間違っている。
以前にも書いたことがあるけれど:
タイツをはいたからと襲撃された人々にしても、イスラーム風スカーフのせいで大学に入れない方々にしても、それらの問題は、あらゆる人々の自由を保証し、あらゆる人々の服装の選択に敬意を払うことを擁護する広い意味での民主化キャンペーンとの関連性の枠内で解決されるものだ。解決されるまで、[このところの]事態の滑稽さを示すために、カラジャヒサルの村人たちのように私たち全員がフェルト帽をかぶってみてはいかがだろうか?

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:14024 )