Can Dundar コラム:この父にしてこの子あり-ウィンブルドン中継と訴訟のニュース
2008年07月07日付 Milliyet 紙

父親になったと考えてみてください。ある日、1冊のテニスの[教則] 本を手に入れる。
あなたにはふたりの幼い娘がいて、彼女たちにテニスを教えよう、とあなたは決意する。
けれども、あなたは生まれてこのかたテニスを一度だってやったことがない。
本で読んだ限りにおいて、言って聞かせて、やって見せる。
すると、当の娘たちはお互いでプレーしはじめた。
彼女たちはテニススクールに通い、時とともにプロ選手になる。
次第に国際トーナメントで頭角をあらわすようになる。
そして、彼女たちは世界最高の女子テニスプレーヤーの域に達する。
彼女たちにこうした扉を開いた父親は、どのトーナメントでも彼女たちの傍らにあって、一角から娘たちの写真を撮り、彼女たちを誇りに思っている。
そして、その日はやってきて、これまでライバルとなることがなかった二人の姉妹が相見えることになる。

***

かくして、まさにそういった日が、一昨日なのだった。
セリーナ・ウィリアムズとヴィーナス・ウィリアムズは、世界最高峰のテニス・トーナメントとされるウィンブルドンの決勝で対戦した。
たぶん、ホテルでは隣同士の部屋に滞在し、一緒に朝食をとり、決勝へ同じ車でやってきたことだろう。
姉妹がコート入りする際には、まだ離婚して日の浅い彼女たちの母親の姿が観客のなかにあったけれども、彼女たちの全試合を見守ってきた父親は、両者が対戦するこの試合には、「私の心が耐えるにしのびない」として、来場しなかった。娘のどちらが勝つにせよ、[そうなれば]つまるところ、勝利を収めるのは[父親]自身だということになるのだった。
セリーナとヴィーナスは、まるで家の裏庭で試合をしているようにプレーした。但し、信じられないような言葉のやり取りをしながら・・・。
長年、一緒にトレーニングをしてきたので、それぞれのとっておきの切り札も、隙も、自然と分かっていた。
セリーナは、姉がネット際に詰めると何処にボールを打ち込んでくるか分かっていたし、ヴィーナスも、妹がサーブをどちらのコーナーに打ってくるかを自然と感じ取っていた。
それだけに見ていて物足りないような決勝戦だった。
28歳の姉ヴィーナスが、劣勢で始まった試合で上回り、これまでの何度かの対戦とは逆に妹を2セットで破り、トロフィーを手にした。
ライバルであったふたりの姉妹は、容赦なく戦ったこの試合のあと、若干休息をとり、今度はふたりが並んでプレーするダブルスの決勝に出場した。
そして、2セットで対戦相手を退けた。

***

CNNトルコではこの素晴らしい試合[の中継]が終わり、味も素っ気も無いニュースが流れ始めた。
まずはエルゲネコン訴訟についてのニュース。
続いては公正発展党に対する解党請求訴訟についてのニュース・・・。
おそらく[ウィンブルドンの]試合の影響で、私には、容赦なき泥仕合になっているこれらの訴訟の当事者双方さえもが、まるで兄弟姉妹であるかのように思われた。
両者とも、左派が抑圧された時期に、「家父長的国家権力」[Devlet baba]によって後生大事に養われたものであった。
こういった事柄を父親[的存在]から学んだゆえに、それぞれに対して、ほとんど同様の諸戦術(司法への圧力行使、誇張された訴状、検閲容疑、資料の破棄、メディア操作、司法クーデター、お膳立てされた支援集会などなど)を駆使していたのである。
一緒に成長したがゆえに、双方には、互いのとっておきの切り札も、隙も、十分に分かっていた。
双方とも、彼らにとっての本来的な苦痛は、民主主義が存在しないことであったため、彼らは自分たちを救い、ライバルに最大の損害を与えることのみを目指していたのだった。
いずれが勝訴するにせよ、[そうなれば]結果的には家父長的国家権力が利を得ることになる。
おそらくは、結局、「それぞれをあまり痛めつけないようにしようではないか」と双方の間では合意が形成され、互いの欠点には蓋をしたまま和解、ということになり、左派に対してそれぞれの力を集中させることになる。
試合後と同じように、ニュースの後にも、画面に映し出された両者たちよりも、むしろそれらを育て上げた「父親」を褒めるべきだな、と私は思ったのでした。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:14247 )