Turker Alkan コラム:「穏健キリスト教国家」のすすめ
2008年07月23日付 Radikal 紙

一党体制期のアンカラ知事であったタンドアンのものだとされる言葉がある:「もしやこの国に共産主義が導入されるとしたら、それを導入するのも我々なのです。」
実話なのか、作り話なのか、私には知る由もない。けれども、少なくともタンドアン[という人物]はこの国の出身で、外国人ではなかった。しかし、現在の世界の情勢を見るや、私たちはより一層深刻な状況に直面している。
アメリカは世界の知事を勝手に宣言したらしく、それを後ろ楯にして、様々な報告や構想や観測を世界中に向けて発信している。
「貴国で民主主義を確立するにしても、そのことについて決定を下すのは我々(アメリカ)なのです。」
「おお、神よ、神よ、もし民主主義が存在しない場合には?」
「貴国には関係のない話です。貴国は大中東構想に従って行動なさるべきです。」
「つまるところ、我々は何をしたらよいのでしょう?」
「穏健ムスリム[国家]におなりください!」
「おかげさまで、そもそも、私どもは穏健ムスリムでございます。IDカードに新しく項目を作りましょうか?『穏健なムスリム』『標準的ムスリム』『厳格なムスリム』といった・・・。」
信仰心とお金というのは、誰が持っているのか目に見えて分かるものではないそうだが、分からないのは、むしろ幸いなことだ。さもなければ、様々な信仰を迫害の道具にしたがる人々に容易さを保証してしまうことになりかねない。ナチス・ドイツでは誰がユダヤ人なのかを判断するために割礼の有無をあらためたのではなかったか?
いまや、誰が穏健なムスリムで、誰が厳格なムスリムなのかを判断するための広く合意されていると思われる手法を見出すことが必要なのである。CIAがこれについても解決策を見出し、我々すべてを目録化し、分類して、我々に穏健イスラーム的民主主義に対しての準備を整えさせるのだと私は確信している。
我々が議論を煽る必要もなければ、いたずらに思い悩む必要もない。世界の長兄たるアメリカは、色々な計画や構想を練っていて、我々も彼らの言うとおりにするのである。
彼らが「貴国には穏健イスラーム的民主主義がふさわしいと考えるのですが、さあさ、その役目を担いはじめられよ」と言えば、我々はどうするのか?
「いや、我が国はお引き受けいたしかねます。我が国は世俗主義国家であり、たとえ穏健な類のものであっても、宗教国家たりえないのです。こういったことは我が国の憲法からの逸脱であり、罪なのです。」
頭にスカーフを巻く公正発展党政権がこんなことをはたして言うだろうか?
そして、我が国にとって穏健イスラーム的民主主義がふさわしいとお考えのアメリカ首脳各氏にはこう尋ねるべきではあるまいか?
「その定義の要件によれば、穏健イスラーム国家は半神政的性質を持つことになりましょう。もし仮にこれが良いことなのだとしたら、どうして貴方がたはご自分たちでおやりにならないのですか?私どもも、貴方がたが『穏健キリスト教国家』を樹立なさることをおすすめいたしますが?穏健キリスト教国家がいかなるものか、お望みでしたら、すぐにでも申しあげましょうとも。すなわち、避妊は禁止されるべし。宗教婚は天国において執り行うものであるため離婚も禁止されるべし。魔女は焚刑に処されるべし・・・。」
いかがなさいました!どうやら我々の提案がお気に召されなかったようですね。『いや、我々は世俗主義国家だから』と貴方がたが[不満げに]おっしゃったのを聞いたような気がします。
このところ、しばしば忘れ去られているのだが、我々だって世俗主義国家だ。たとえ我が国の頂点にスカーフを巻きたがる人々がいるとしても、公式には、我々は今でもそうなのである。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:14351 )