ゼキ・ミュレン、博物館の中で生きている
2008年08月04日付 Radikal 紙

2008年前半の7ヶ月間で、ボドルムにあるゼキ・ミュレン美術館を約2万人の人が訪れた。ゼキ・ミュレン美術館長のアイセル・オズブルトさんは、冬期に美術館は期待していた興味を引かなかったが、夏期の到来と同時に美術館を訪れた人の数はかなり増加したと話した。

オズブルトさん館長は、夏期は毎日数十人の人が美術館を訪れていたとし、「現在までに美術館を訪れた人は、トルコ国内外を併せて、約2万人に達した。美術館に対し、トルコ人観光客の方が興味を示している。特にゼキ・ミュレンを知る人が美術館を訪れている」と述べた。

トルコ音楽と関わりのある大学の学生が多く美術館を訪れているとし、美術館でゼキ・ミュレンの写真が一番興味を引いていると述べた。オズブルト館長は「ゼキ・ミュレンがデザインした作品を他の場で見ることはできないので、この作品を綿密に調べている。美術館を訪れた人は、その後ミュレンの歌を聞き、休憩所で疲れを吹き飛ばすことができる」と話した。

■ 文化省によって修復がなされた

ゼキ・ミュレンさんが1977年に社会学者ファトマ・マンスルから120万リラで買った家は、2000年6月8日に文化省によって修復され、美術館に転用された。二階建ての美術館の前後には庭がある。

前面の庭には彫刻家タンクット・オクテムが作ったゼキ・ミュレンが手にマイクを持った様を描いたブロンズ像と、ミュレン所有の1976年モデルのブイック・レガル自動車が展示されている。

美術館のホールにはゼキ・ミュレンが始めてゴールド・レコードを取ったときにレコード会社から贈られた真鍮製の高音部記号を、入り口のある階の他のセクションにはミュレンが折々に購入したテープレコーダー、レコードプレーヤー、ラジオ、録音機が展示されている。

美術館の展示品のなかでも、ゼキ・ミュレンの父親が作ったゆりかごが訪れた人々の興味を引いている。ミュレンの母親のミシンも美術館で展示されている。実際に使用されていた蓄音機も主要ホールのうちの一つで展示されている。

二階にはミュレンを評価した人物からの手紙、私室には衣装の一部、靴、化粧品、受賞した賞などがおかれている。ミュレンに贈られた、あるいは自身が購入した絵画も美術館の様々な場所で保管されている。自身が手がけた舞台で使用された衣装も美術館で展示されている作品の一つである。自身がデザインした作品も興味深い。

ゼキ・ミュレンが出演した映画で撮られた写真も美術館の別の場所で展示されている。イスタンブル国立美術芸術学院で得た卒業証書や、トルコ兵財団によって与えられた表彰状、1961年に舞台に初めて出たときに着ていた衣装も見ることができる。

トルコ芸術音楽の表現者であるゼキ・ミュレンは、心臓病や糖尿病が理由で1980年以後舞台人生や音楽から遠ざかり、ボドルムの家に退いた。

ミュレンは、1996年9月24日にトルコ・テレビ・ラジオ協会のイズミル支局で自身のために催された授賞式のあいだに心臓発作をおこして亡くなり、故郷のブルサに埋葬された。ゼキ・ミュレンのボドルムにある家は、亡くなってしばらくしたあと、美術館として転用され、公開された。

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( 翻訳者:小川玲奈 )
( 記事ID:14426 )