Ismet Berkan コラム:自殺へと向かう戦争-コーカサスの西隣から流血の事態を読む
2008年08月09日付 Radikal 紙

グルジア軍は、一昨日の夕刻、「分離主義」を掲げる南オセチアに入り、カフカスの中心で、カフカス山脈で戦争が始まった。
[それは]長い間、いやもう随分と長い間、予測されていた戦争であった。特にサアカシュヴィリがグルジアで権力の座について以後は・・・。
正直に言えば、私は戦争がアブハジアで[起きる]と予測していた。しかし、どうやらグルジア軍は「より楽な片割れ」だと考えて、まずはオセチアを攻撃したのである。
これは、基本的に自らを殺める戦いである。グルジアの自殺である。なぜなら、グルジアはどうあっても勝ち目のない戦いを始めたのであるから。
説明してみることにしよう。
グルジア領に含まれるアブハジアは、1991年以来、ソビエト連邦の成立以前に[独立が]宣言されて一時存在していた公国[の正統性]を主張し、完全な独立を求めている。問題の法的な詳細には立ち入らないでおくが、しかし、その当初から、グルジア、ロシア双方は、アブハジアの独立要求を認めなかった。グルジアとアブハジアは戦い、同地域のグルジア人たちは家を失った。かなり前から現実の軍事衝突はなく、時に部隊が展開することはあっても、緊迫した和平状態にあった。
しかし、1991年から今日までに、橋の下では多くの水が流れたのだ。アブハジアは、いまやかつての敵であるロシアの庇護下にある。ロシアはグルジアを苛立たせたいと考える場合、今では決まって、それをアブハジアを用いながら行っているのである。
オセチアでは状況は異なっている。ある時、ヨシフ・スターリンの「民族工学」研究の成果として、そもそもがちっぽけな国であったオセチアはふたつに分割されることになってしまった。北オセチアはロシア領内[となり]、南オセチアのほうはグルジア[領になった]。ごく自然なこととして、ふたつのオセチアは統一を「要求している」。ロシア[という]ファクターがここでも影響力を持っている。グルジアのほうは、領土喪失という結果を招くであろうこういった動きを明らかに望んではいない。
まさしく同地域においてチェチェンの独立要求を一度は文書の上では承認しながら、[それを]反故にすべく血と芥にまみれた戦争を遂行したロシアが、アブハジアの独立と、ふたつのオセチアの統一とを主張するというのは、運命のいたずらである。
そもそも見えている村へ行くのに案内役は要らない。つまり、小さく、無力で、貧しき人々、アブハーズ人とオセット人は、ふたつの巨大な悪玉のうちいずれかを選んで、ふたつの悪玉に殴り合いをさせることで、自分たちが生き残らんと努めているのだ。悪玉とは、歴史的な「敵」であるロシア、そして、深刻なナショナリズムの風に煽られているグルジア、である。
基本的には、外部から一定の距離をおいて眺めてみる場合、カフカス山脈のてっぺんで起きている流血の事態は、どう見ても非理性が支配的であることを示している。
グルジアにとっても、アブハジアにとっても、そして少々状況は異なるとはいえ最終的な分析においてはオセット人たちにとっても、真の「敵」、真の「帝国主義的権力」はロシアである。
これらの国々と人々にとっての共通の利益とは、彼ら自身を、可能な限りの柔軟なプロセスを通じてロシアから独立[自立]させることだ。
けれども、グルジアは自らを独立させる一方で、アブハーズ人やオセット人を、そして[構成員の]すべてがムスリムであったためムスリム系グルジア人の故郷であったアジャリアまでもを制圧するために全力を傾けたし、現に傾け続けている。ましてや、サアカシュヴィリが政権の座につくことによって、こういった民族浄化や、抑圧主義は更に[勢いを]増したのである。
しかし、これは危険なゲームであった。グルジアは、いまや、ロシアの軍事介入を招いてしまった。オセチアに侵攻せずに、何らかの形での和平を模索していれば、更には領土喪失すら受け入れたとしても、これほどまずい結果を招くことはなかっただろうに。いまやグルジアの将来も、安定も、グルジアの何もかもが危機に瀕している。
世界はグルジアを支持するだろうか?ロシアが同国を占領することは明らかに許されるものではないが、占領はそれほどには必須条件ではないかもしれない。ロシアの腕は長いので、最終的にはグルジアを「親友」の手に委ねるためのとっておきの切り札を手に入れることになるだろう。
近い将来、ロシアが直に、あるいは間接的な手段によってまたも我々と国境を接する隣国になることがあっても、もはや私は驚かないだろう。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:14467 )