オリンピックで快挙のスィベル・オズカン、孤児院から銀メダリストへ
2008年08月10日付 Yeni Safak紙

 女子重量挙げ48キロ級に出場したスィベル・オズカンは、スナッチで88キロ、ジャークでは111キロを挙げ合計199キロに達し銀メダリストとなった。両親の離婚のため6歳でコンヤの児童養護施設で育てられた国民的アスリートは、家賃を払うことができず、通学時に友人らから交通費を都合してもらうことに不満を述べた。

中国の首都北京で開幕した第29回夏季オリンピックにおいてトルコは、大会第1号のメダルに、重量挙げのスィベル・オズカンによって手にした。女子48キロ級に出場したスィベル・オズカンは、初めて挑んだ成人の大会において、スナッチで88キロ、ジャークで111キロを挙げ、合計199キロに達し銀メダリストとなった。この階級では開催国の陳燮霞がスナッチで95キロ、ジャークで117キロを挙げ合計212キロに達し、文句なしの金メダリストとなった。銅メダルは、台湾の陳葦綾が合計196キロで獲得した。

■ ポケットには僅かのお金もない

 第29回夏季オリンピックにおいて、トルコへ大会第1号のメダルを重量挙げでもたらしたスィベル・オズカンは、今日までに世界およびヨーロッパチャンピオン、地中海大会準優勝、さらにはトルコで数多くの優勝を獲得している。スィベル・オズカンは、両親が離婚したため6歳でコンヤの社会サービス・児童養護協会寮に入寮し、11歳の時ここで初めてのスポーツとして柔道を始めた。ネジャティ・チェティンカヤ県知事女子児童養護寮へと移ったオズカンは、柔道で県、そしてトルコのチャンピオンを勝ち取り、13歳になり重量挙げに興味を持ち始めると、この競技へと転向した。

だがオズカンは、物質的不遇をかこっており、アナトリア通信の特派員に2006年に出したルポルタージュでは「数多くのメダルがあるにもかかわらず、物質的不遇のため困難な日々を過ごしている。物質的困難のためトレーニングや学校に通うことができるよう、ほぼ毎回友人たちから交通費を都合してもらわざるを得ない状況にすらなっている。家賃すら払うことができていないのだ」と述べた。

■ 金を逃したことに謝罪

 オリンピック初日に銀メダルに達したスィベル・オズカンは、「表彰台に立てたことは嬉しい。しかしもっとうまくできた。集中を欠いたことから全てのパフォーマンスを出すことができなかった。申し訳ありません」と話した。1回目の試技で108キロを楽に挙げ、その後生じた喜びのため無気力になってしまったと話すオズカンは、「1回目の試技でこの重量を挙げることができていたなら、もっと違ったパフォーマンスができただろう」と(心境を)語った。

■ 大臣らからスィベルへ祝福

 オリンピック競技の観戦のため北京に滞在している国務大臣のムラト・バシェスギオールとメフメト・アリ・シャーヒンは、オリンピック初日にトルコに銀メダルをもたらしたスィベル・オズカンを祝福した。バシェスギオール大臣は行った会見で、「スィベルのこの成功は我が国の他のアスリートを勇気付けるだろう」と語る一方、メフメト・アリ・シャーヒン大臣は、「私にとって重要なのは、初日に掲揚された3つの国旗のうち1つがトルコ国旗であったことだ。スィベルを祝福する」と述べた。メフメト・アタライ青少年・スポーツ総局長は「この階級で金メダルが我々のものになりそうだった」という表現を用いた。

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(翻訳者:岩根匡宏)
(記事ID:14471)