トルコからふたつの異なる風景 大学でのスカーフ着用問題
2008年08月23日付 Milliyet 紙

学生選抜試験(ÖSS)でトルコ9位の成績で医学部に合格したコチさんは、「大学が始まる前にアタテュルク廟を訪れます。大学ではスカーフを被りません」と話した。

スィヴァスで学生選抜試験(ÖSS)をトルコ第9位の成績でハジェッテペ大学医学部に合格し、日常生活ではスカーフを身に着けているハティジェ・コチさん(17)は、「大学が始まる前にアタテュルク廟を訪問します。大学ではスカーフを脱ぎます」と語った。
スィヴァス科学高等学校を卒業したコチさんは、初めて受けたÖSSで「理系重視得点―2」で377点を取り、トルコで第9位、そしてスィヴァスで第1位となった。父親は最低賃金労働者として働き、母親は主婦であるコチさんは、登録の日を興奮して待っていると話した。
コチさんは、「アタテュルクは学問を最も尊重した人の一人でした。おそらく、いま私たちが大学へ行くことになるのも、彼のお陰なのです。また、大学が始まる前に訪れる場所として、アタテュルク廟以上にふさわしい所があるとは思いません」と述べた。

■「かつらは着けません」
日常生活ではスカーフを着けているコチさんは、次のように語った。「4年間、高校で、大学に合格するために努力しました。今、大学へ頭をスカーフで覆って通うことは不可能です。もしスカーフを着けることに固執すれば、これほどの年月を費やした私の努力の意味や価値がまったくなくなるでしょう。何年間も意味のないことに関わってきたことになります。このため、大学へ行くときはスカーフを脱ぎます。かつらをつけることも考えていません。」
コチさんは、「物質的な点で、人間の間には差異があることを知り私はショックを受けました。医学と決めたら、ハジェッテペ大学以外の場所は考えていませんでした。将来、学校を終えたときは、心臓病の医者になりたいです。面白そうなので、この学科を選ぶつもりです」と話した。
コチさんは、「私の生活は普通に続いています。とてもたくさんテレビを見ています。本を読んだり、友達と遊びます、つまりとそれほど興味を引く生活ではありません」と語った。

■「学生(復学)恩赦が出れば、規則に従う」
「世間の目というプレッシャー」のためスカーフを着け、そしてこのために学校を退学せざるを得なくなったエミネ・チチェキさんは、「学校でスカーフを脱ぐことは私にとって問題とならないでしょう」と話している。エミネ・チチェキさんは、「世間の目というプレッシャー」のため退学した大学に戻る場合には、服装に関する規則に従うと述べた。それぞれ異なる理由から大学を離れたキュルシャット・チメンさんとエミネ・チチェキさんらが作っているグループ、教育権利プラットフォームは、学生恩赦が重要議案となるのに、大きな影響を与えている。

■父親へ「社会的圧力」
チチェキさんの闘争の背後には、興味深い話があることが明らかになった。1999年にニーデ大学の化学部で教育を受け始めたと話すチチェキさんは、次のように語った。
「私の父は社会的圧力を受け、1年生の第2学期に私を学校から連れ戻しました。父は後から、この状況に大変悲しみました。妹が大学に合格するために非常に骨折りました。妹を予備校へ行かせました。妹は、教育学部に合格しました。父の支援を受け、大学に再び戻るために私は闘いを始めました。私は父が悲しむのを望みません。私は「スカーフ被害者」ではありません。家庭の事情から、学校を退学せざるを得なかったのです。学生恩赦とスカーフ問題を関係づけることは間違っていると考えます。
恩赦が出て私が大学へ再び戻る際には、大学での服装規則に従います。学校でスカーフを脱ぐことは、私にとって問題にならないでしょう」。

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( 翻訳者:林 奈緒子 )
( 記事ID:14556 )