Cengiz Candar コラム:アブドゥッラー・ギュルの「エレバン遠征」
2008年09月03日付 Radikal 紙

アブドゥッラー・ギュル大統領が土曜日にエレバンを訪れること、つまり、一人のトルコ共和国大統領がアルメニアの首都に、その肩書きのまま初めて足を踏み入れることの前には、もはや何らかの奇跡しか阻むものはないだろう。
ワールドカップ予選における、抽選の妙、つまり確率の傑作たるトルコとアルメニアとの対戦は両政府にとっての、そしてより重要なのはトルコ人とアルメニア人にとっての新たな歴史的地平を拓く可能性を生み出したのだった。
2008年2月に選出されたアルメニア共和国の新大統領セルジ・サルキシャンは、件の歴史的機会を利用して、2008年7月9日付けでアメリカの金融専門紙ウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿した論説によって、アブドゥッラー・ギュルを国際世論の前ではっきりと「試合を一緒に観戦すること」を目的としてエレバンへと招待したのだった。サルキシャンの件の論説のさわりの部分をいま一度読んでみることにしよう。
「中国とアメリカの人々が、両政府が国交を完全に正常化する以前もピンポン(卓球)については関心を共有していたのと同じく、アルメニアとトルコの人々も、私に以下の提案を実行に移させるほどにサッカーへの愛着という点では一体なのです。ギュルを、9月6日にアルメニア、トルコ両国サッカー代表チーム間でエレバンで実施されるワールドカップ(予選の)試合を競技場で私と共に観戦することを目的として招待します。そうなれば、私たちは、我々双方の関係における象徴的なはじまりをも宣言したということになるはずです。我々の間の違いがいかなるものであるにせよ、閉ざされた国境が懸案であるにせよ、我々には文化的な絆が、人間的な絆が、そしてスポーツの上での絆が存在しているのです。両国の〔要人ではない〕普通の人々が国境の開放に歓呼の声をあげるはずだと私が信じる根拠は、これなのです。双方にはそれぞれ政治的障害がありましょう。しかし、今こそ行動に移るために勇気と良識を我々は持つべきなのです。」
サルキシャンがこの呼びかけを行う際には、ワールドカップ予選での対戦にインスピレーションを受けたのと同じくらい、アブドゥッラー・ギュルとタイイプ・エルドアンの態度にも勇気付けられたに違いない。
また、[サルキシャンは]同論説で、「トルコ共和国大統領アブドゥッラー・ギュルは、私が2月に選出された後、私を祝福してくれた最初の国家元首のうちのひとりでした。トルコ共和国首相タイイプ・エルドアンは、この新しい任期において、対話の扉は開け放たれたままであるとの見解を伝えてきてくれました」と綴っていた。
トルコ側が、サルキシャンのウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された論説の直後、つまり今から2ヶ月前にはアブドゥッラー・ギュルがエレバンを訪問するとの決定を下していたことを我々は知った。ウナル・チェヴィコズ外務次官補が、本日、日帰りでエレバンを訪問し、アブドゥッラー・ギュルの土曜日の「エレバン遠征」のために-[オスマン帝国スルタン]ムラト4世期のレヴァン遠征とはかなり異なった―最後の諸調整を行う予定となっている。
私はウナル・チェヴィコズに昨日インタビューした。私は[大統領一行が]エレバンで土曜日の一夜を過ごすのかどうかを尋ねた。彼が述べるところによれば、試合直後にギュルはトルコに戻る予定となっている。「首脳同士がハーフタイムの間に問題を話し合うことになるのでしょうか?」と私は加えて尋ねた。[チェヴィコズは]「試合の数時間前には我々はエレバンにいる予定になっています。首脳会談を実現させ、その後試合に向かうことになります」と応じた。
サルキシャンは2008年7月に行動に移ったのだった。
アブドゥッラー・ギュルも「行動に移る」ために不可欠な「良識と勇気」をこのようにして2008年9月6日には示すことになる。
「トルコ」と「アルメニア」という概念の間に存在する非常に大きな歴史的、心理的わだかまりが「サッカー外交」によって乗り越えられることになるかもしれない。このような方向性によって、9月6日にエレバンで行われる予定のサッカーの試合は、まさに中国とアメリカ両国の関係に新たなページを開き、ある意味では「歴史を作った」1972年のピンポン外交と同じくらい重要な「政治的事件」という性質を帯びることとなった。

***

このような事態の成り行きについての最も可笑しくまた不適当な批判のうちのひとつが、トルコがアルメニアとの間で開こうとしている新たなページが、あたかもアゼルバイジャンに対する「裏切り」だと考えられてしまうことについてのものである。トルコとアゼルバイジャンは「ひとつの民族ふたつの国家」だと考えられているではないか・・・と。
このような批判が何ゆえ可笑しく、また不適当なのだろうか?
なぜなら、アゼルバイジャンとアルメニアの国家元首は長年会談の機会を持っているからである。1993年から1997年の間にへイダル・アアリエフとレヴォン・テル・ペトロシャンとの間では約10回の会談が実現したのであった。1999年から2002年にかけてはヘイダル・アアリエフとロベルト・コチャリャンがおよそ20回会談した。両国にとっての第3期会談については、イルハム・アアリエフとロベルト・コチャリャンとの間で9回の会談の場があったのである。
つまり、アゼルバイジャンとアルメニアの国家元首は過去15年間で40回会談したのである。更に言えば、アブドゥッラー・ギュルと会談予定のセルジ・サルキシャンとイルハム・アアリエフは、2008年6月、つまりいまから3ヶ月前にロシアのサンクト・ペテルブルクで会っているのである。アゼルバイジャンの国家元首が、アルメニアの国家元首と会談しているその一方で、トルコに対して「アゼルバイジャンの専売特許の会談を禁ずること」はまったく意味がない。全くもって正当な根拠とはなりえない。
そのうえ、両国関係における実際上の最も基本的な障害だと目される「カラバフ問題」の解決にむけて、トルコは、アルメニアとの関係が断絶しているばかりに、プラスとなるような貢献をしてこなかったし、[そもそも]貢献しえなかったのである。しかし、カラバフ問題の解決についても、占領下にあるアゼルバイジャン領土の返還についても、アルメニアと国交を持ったトルコなら貢献するチャンスはよりたくさんある。
では「ジェノサイド」については?
これは、両国が国交を樹立し正常化する上での「前提条件」ではそもそもない。2006年12月、セルジ・サルキシャン[現]大統領は、アルメニア国防相であった折に、またもウォール・ストリート・ジャーナルに論説を寄せたのだが、その寄稿のなかで彼は「我々はジェノサイドを前提条件といった状態にしてしまうことなしにトルコと外交関係を築きたいと願っている」と述べたのだった。サルキシャンは論説を次のような一文で締めくくっていた。
「トルコ―アルメニア国境が開放されたなら、小国である我が国は地政学的観点からヨーロッパにより一層近づくことになる。我々はトルコの永遠の仇敵たりえないし、そうである必要も意義もない。将来のために我々は前へ進むべきだ。」

***

アブドゥッラー・ギュルは2008年9月6日土曜日には空路エレバンに赴き、「将来に向かって前へ進むため」実際に大きな一歩を踏み出すことになるはずだ。ありえる話だとも、彼がそうするだろうとも、私には想像できないのだが、アブドゥッラー・ギュルがエレバンに下りたつやいなや、ジェノサイド慰霊碑を訪れて、哀悼の意をあらわしたとしたら、一体どれだけの人の心を喜ばせることだろう。[そして]トルコの前に広がる歴史は、ひょっとすると可能な限り開けることになるだろうに・・・。
トルコは、「一歩前進」どころではなく、ひょっとすると数歩前へ跳んだことになるだろうに・・・。
このような「行為」はジェノサイドを認めるかどうかとは無関係だ。このような「行為」は「私たち共通の歴史のつらい時期の悲しい記憶を私は心に刻んでいます。祭られた人々の痛みに21世紀のトルコの大統領として私は哀悼の意を表します」と述べたこと以外の意味を持つはずがない。
どれほど意義のあることだろう・・・。

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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:14632 )