クシュハン経営のダイエット・キャンプ、閑散 死亡事件を受けて
2008年09月09日付 Yeni Safak 紙

ムザッフェル・クシュハン医師が経営するダイエット・キャンプで当時19歳のディラさんが亡くなったのを受けて、4人がキャンプを去った。ディラさんの家族は、まだ若い少女の死に対し「先天的な病気」との見解を示したムザッフェル・クシュハン医師を告訴した。

ムザッフェル・クシュハン医師がポレネズキョイで経営するダイエットのための豪華診療所が、19歳のディラさんの死で、揺れている。トルコ国内で著名な実業家の一人であるアリ・ドゥルストさんの姪にあたるディラ・クルトさんは、一ヵ月半で15キロを一気に減量したが、その後間もなく、心臓麻痺のため亡くなった。この事件を受け、クシュハン医師の有名な診療所はトルコ国内の注目を一挙に集めた。同診療所では、以前にもアメリカ人実業家が亡くなっており、問題となっていた。キャンプでは昨日までに4人が去っているが、告訴されているムザッフェル・クシュハン医師は「ここで(診療所を)閉じさせられても、私は世界中どこででもこの仕事をやる」と話した。

■クシュハン医師「殺人遺伝子だ」
ディラ・クルトさんの家族は「事故現場に医師と救急車が駆けつけていればディラは助かった」と語り、著名なダイエット指導者であるムザッフェル・クシュハン医師へと注目が集まった。クシュハン医師は次のように話した。「ディラさんは丈夫な女の子だった。あらゆる検査もなされた。プールのへりにご両親、親戚の方々と一緒に座っていたら倒れたのだ。私の家はプールまで30メートルで、様子が窓から見えた。私たちはすぐに医務室へと運んだ。心臓マッサージ、人口呼吸、酸素吸入と電気ショックが施された。しかし残念ながら心臓は動かなかった。人間には9歳と15歳のときに自分を襲う殺人遺伝子がある。ディラさんを死に至らしめたのもこの殺人遺伝子だ。なぜなら、少女は運動をしていたわけでも、ほかのことをしていたわけでもない。ご両親と一緒に座っていたら、亡くなった」
ポロネズキョイにあるキャンプで起きた死亡事件に対し、16歳のエルジャン・チャカルさんはとても有効な証言を行った。「(彼女は)ちょうど私たちの向かい側のテーブルに座っていました。すると突然倒れました。私たちは最初救急処置を施そうとしました。彼女の胸にはぽつぽつと青紫の斑点ができはじめたのです。その後5、6分してムザッフェル・クシュハン医師が来ました。クシュハン医師も救急処置を行いました。しばらくして事故現場に救急車が到着したが、間に合わなかった。このキャンプでは通常はムザッフェル・クシュハン医師のほかにも医師がいます。しかしその医師が休暇中だったため、クシュハン医師が救護にあたったのです」
ディラさんの叔父であるブルハン・クルトさんとハサン・クルトさん、そしていとこたちは、死亡解剖の間、法医学協会の前から一瞬たちとも離れなかった。法医学協会による報告書を手にしたハサン・クルトさんは、「先天的」との一文が記述されていたと述べ、「私たち家族にこうした持病のある人はいない。私たちは事件の真相を追及するつもりだ。彼らは私たちの娘をモルモットとして利用したのだ」と語った。

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( 翻訳者:萩原絵理香 )
( 記事ID:14672 )