国民教育省の教科書、アルメニア関連の記載事項に進展
2008年09月13日付 Yeni Safak 紙

新しく改定された歴史教科書が、アルメニアとの関係前進にさらなる一歩を記した。 アルメニア人作曲家ビメン・シェンの歌が載せられていた小学8年生用の革命史の教科書に、オスマン時代のアルメニア人らの穏やかな生活を描いたカパルチャルシュの絨毯屋カラピット・ネデニヤンの文章が加わることとなった。

アブドゥッラー・ギュル大統領がアルメニアの首都、エレバンでの国際試合に行ったことで築かれた両国の熱い関係を、国民教育省も新しい教科書で後押しした。新しい歴史教科書では、アルメニア人に関し注意深く書かれている部分に、新たな説明が加えられた。革命史・アタテュルク史の教科書には、アルメニア人は「オスマン国家に最も長く帰属していた非ムスリム集団である」として紹介され、アルメニア人作曲家、ビメン・シェンの歌が掲載された。
歴史教科書の「強制移住」の導入部分で、本名がビメン・デルガザルヤンであるシェンの、「私の顔は愉快さ、私の思い出は愉快さ、私の周り(仲間)は愉快さ」という歌を紹介し、「この歌を、アタテュルクの前でアルメニア人作曲家ビメン・シェンが歌った」と説明する。1873年から1943年まで生きたシェンは、ブルサにいた頃、アタテュルクの招待を受け、アンカラへ移り、時にはドルマバフチェ宮殿にも呼ばれた。

■ 絨毯屋カラピットの喜び
また彼はアタテュルクの提案で、名字を、自分で作った「私の顔は愉快さ、私の思い出は愉快さ、私の周り(仲間)は愉快さ、私の居場所はバラの園」という歌詞で始まる歌に何度も出てくるシェン(愉快)に変更した。教科書にはさらに、アルメニア人とトルコ人が、特にロシアとイギリスに扇動される以前はともに平和に暮らしていたことが書かれている。革命史・アタテュルク史の教科書の34ページには、絨毯屋カラピット・ネデニヤンの次のような文章が掲載されている:「ああ原因は彼ら(ロシアおよびイギリス)にあるのだ。おまえたちの家が壊されればいい。私たちは幸せにやってきた。ムスリムたちが味わえない喜びを我々は味わってきた。奴らは我々の若者をだまし、自分の野望のために働かせた。いま我々は皆、世界の片隅にいるのだ」
 

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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:14695 )