Mustafa Unal コラム:80年クーデターにNoで憲法にはYes?
2008年09月14日付 Zaman 紙

軍事クーデター記念日には、興味深い色々な形の反発と抗議が目撃された。若い市民たちが再びその舞台にいた。

市民らは戦車が通りに現れた午前4時にイスタンブルとアンカラのラジオ局の前でデモを行った。プラカードの中の「82年憲法はクーデターを続けている」というスローガンは目を引くものだった。ビルギ大学では「良心の裁判所」という名称の象徴的な裁判所が設けられ、クーデターを起こした人々が裁かれ、「民主的トルコのために働く」という刑が申し渡された。実際の裁判のために、検事らも呼ばれた。労働組合や市民団体は、大都市をはじめとしアナトリアの至る所で、デモによって「9月12日(80年クーデター)」に抗議を示した。

このニュースは、疑いなくクーデターに対する社会的意識が徐々に高まりつつあることを示している。しかし、知識人のなかにはいまだに「良いクーデター、悪いクーデターと区別する」者たちがいる。「9月12日」は罵るのに、「5月27日(1960年クーデター)」は高く評価する人々を頻繁に見受けることができる。2日前テレビで面白く見ていたのだが、1971年3月9日に軍事クーデターを計画したグループ(未遂に終わり、3月12日に「書簡によるクーデター」が起こった)のメンバーだったと名乗る人物が「5月27日」を「啓蒙革命」だったと述べ、61年憲法を称賛していた。しかし「9月12日」については左派運動を潰したとして否定的に見ている。基準は民主主義や普遍的価値ではない。

「9月12日」は単に左派だけに打撃を与えたのだろうか、社会のすべての人々がクーデターの苦難を味わったのではなかったか?ウルキュジュ[極右派]は左派より被害が少なかっただろうか?残念ながら、左派系知識人の一部は軍事クーデターに対して裏表のある態度をとっている。「9月12日」と「3月12日(1971年の「書簡によるクーデター」)の覚書を否定しながら、「5月27日」と「2月28日(1997年2月28日過程)」は称賛している。称賛という以上に、明らかに支持したといっても間違いではない。今日でさえ、特に左派の中で民主主義を白眼視し、すべての望みを軍事介入にかける知識人がいる。しかしながら、知識人の良心は、単に自身の政治路線が妨げられたからではなく、被害を受けたのが誰であろうと、クーデターや介入は社会の将来を傷つけるがゆえに、これに反対しなければならないのだ。

「9月12日」は左派を切り崩したとして「無意味なクーデター」、「2月28日」は右派を転覆させたとして「素晴らしいクーデター」と呼ぶ。クーデター記念日はこの二面性を露わにするという観点からも重要である。

クーデターに加担した人々は、ほとんどこのアンビヴァレントな(知識人の)発言ゆえに、知識人たちを好んでいるに違いない。というのも、クーデター加担者らが心強く思うのは彼ら知識人だけだからだ。クーデターに対し、社会は知識人たちに比べて非常に先んじている。民衆は、どのような色(性格)のものであれ軍事クーデターと介入に対し、かつてのように声をひそめたり無関心ではなく、反対をはっきりと表明することを厭わない。今後、クーデター計画者がことを進めるのは非常に困難だ…。再び昔のような挑発的な出来事によってこの社会に「クーデターの下地をつくらせる」のも容易ではない。クーデターに至る道に布石を打ち、介入のための環境を整えることはもうじき不可能になる。というのも、開かれた社会の影響があらゆる場所で見うけられるからだ。どんな活動計画も秘密裏のままではなく、すぐさま明らかにされている。

「夜中に不意に戦車の音で目覚めること」はもはや過去のことである。これを誤って理解しないでいただきたい、脅威が無くなったということではない。トルコの民主主義は常に壊れやすく敏感な構造により、クーデターと介入の脅威に晒されている。さらに、我々が新たに経験した[2007年]4月27日の[軍部の]通告は、介入を意図したものであった。完全に政治主導である大統領選挙を妨害するために向けられたものだった。憲法は議会以外いかなる人物にも組織にも選挙を定める権限は与えていない。4月27日の介入を3ヶ月後の7月22日総選挙が正しい道に戻した。(介入は)失敗した、さもなければ通告の企てにとどまらず、その力を行使することになった。

左派は「9月12日」に反対しているではないか?種々の発言や記事をみれば、答えはイエスである。では、クーデターの産物である1982年憲法の改正に最も反対しているのは誰だろうか?これも左派系知識人と政治家である…。左派はなぜ幾度も居場所を失っているのか、なぜ選挙で敗北しているのか、こうした問いの答えもここに隠されている。「9月12日」にNoと言うなら、発言を曲げずに、クーデターの精神が染み込んだ1982年憲法に対してもNoと言わなければならない。新しい時代においては自由主義的な憲法への支持は、左派から最も多く集まるべきである。彼らが「9月12日」クーデターのあらゆる事柄に反対すること、これを私たちは期待してもいいはずだからだ。もし彼らが思想の誇りを持っているのであればのはなしであるが…。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:14708 )