Hasan Celal Guzel コラム:新作映画「聴け、ネイの音を」
2008年10月12日付 Radikal 紙

親愛なる読者の皆さん、我々が次々と埋葬した、獅子のように勇敢な兵士や警官の殉職者を目にし、私と同様に皆様の心も暗くなったことでしょう。
この美しい秋の朝にこの悲しみ、憂い、鬱憤から皆様を一瞬でも引き離したいと思う。
日曜日の話題として、封切られたばかりの「聴け、ネイの音を」という傑作映画についてお話する。

■我々の歴史における一つの光
これほど豊かな歴史、文化、芸術という宝を所有し、これを発信するとなるとこれほどの無能力にあえいでいる-そんな国民は(他に)見つからないでしょう。
いわゆる知識人たちはトルコ民族とトルコの文明の偉大さを、5つ星「ホテル」にいる意味不明の「エンターテイナーたち」に委ねた。ドルマークが浮かぶその目には、観光収入を増加させること以外の輝きを見出だすことはできない。
短い観光宣伝の撮影ショットには、我が心であるモスク、宮殿、イスラーム学院の他に、ネムルートの峰々やビザンツのイコンなどが抱き合うように示される。
起源を6000年前に遡るトルコ史は尚のこと、この大地における我々の1000年の存在について、いくつかの貴重な映画を除外すれば、我々はひとつの映画もきちんと制作することができてきない。

先週金曜日にトルコ全土の75の映画館で封切られた「聴け、ネイの音を」という名の映画は、イスラーム・トルコ文明の精神世界、文化、芸術をもっともすぐれたかたちで見せており、セリム3世の治世(在位1789-1807)の歴史を描いた比類ない作品となった。

■「聴け、ネイの音を、語ることなく」
映画のタイトルは、メヴラーナの『メスネヴィ(マスナヴィー)』(神秘主義の物語詩)の最初の対句から引用されている。
「聴け、葦笛が語る物語を/葦笛が別離を嘆くのを」

映画館を出た時、脚本家のイスマイル・オズクル・エレンとアイシェ・シャサも私と同様に、映画が描き出した輝かしい時代の美を後にして立ち去ることを惜しんでいるように感じた。
催しの前に準備されたカクテルパーティーで、古い親友で貴重な文化人であり、トルコ映画の誇りであるユジェル・チャクマクルは、この歴史映画の続編がつくられるという朗報を私にもたらしてくれた。記憶に刻まれた「建国」の監督であるチャクマクルは、「聴けネイの音を」でもアドバイザーを務めた。さらに、懐の深いトゥールル・イナンチェルとオスマン史家メフメト・イプシルリ教授も映画のアドバイザーに名を連ねている。

■我々の愛と文明の物語
実際のところこの映画は、2007年にユネスコが「メヴラーナ年」を宣言したことを好機として制作された。節度ある製作者は、聖者メヴラーナの物語に思い切って直接入ることをよしとせず、物語を18世紀末における歴史的出来事によって描写することが適当と考えた。
映画では、セリム3世の治世に2人の若い宮廷人に芽生えた心の関係を知った若いメヴレヴィー教団修道僧の、神秘的な世界が語られている。

映画はトルコ・フランス共同製作である。フランス人は技術的な点でかなり貢献した。脚本の最終的な形は、2008年フランス国立演劇センターの奨励賞にふさわしいと評価されたセデフ・エジェルと、ジェサル脚本賞の2007年受賞者であり、オスカーでフランスを代表した映画「栄光の日々」の脚本家であるオリヴィエ・ローレルが仕上げた。
映画の監督は、「眠れる水を恐れよ」という名の映画で知られ、多くの賞を受賞しているジャック・デシャンが務めた。
トプカプ宮殿、ハーセキ・キュッリイェ(複合都市施設)、ガラタのメヴレヴィー教団修道場、マベイン・キョシュキュ(ユルドゥズ宮殿の敷地内にある邸宅)のような歴史的空間で長期間、作業が行われた。
俳優陣には、アフ・チュルクペンジェ、アリジャン・ユジェソイ、エミン・オルジャイ、メティン・ハラ、ブルハン・オチャル、そしてラーレ・マンスルがいる。

***
親愛なる読者の皆さんに、「聴けネイの音を」を鑑賞し、日頃の悲しみを隅においやって、我々の栄光の歴史と心の宇宙の深部で楽しい旅路にでることをお勧めします。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:14890 )