ニーシャープールのタイル職人ら、タジキスタンのルーダキー廟を修復
2008年09月25日付 Iran 紙

【ニーシャープール—イラン紙記者】タジキスタンの文化相が、傑出したペルシア語詩人ルーダキーの墓廟[「アーフターブ通信」サイトに写真]修復のために、ニーシャープールのタイル職人を招聘した。

 ニーシャープール文化遺産・手工芸観光局のモハンマド・ロクニー局長は、次のように述べた。「ニーシャープール文化遺産局の優れたタイル職人であるハサン・ハーニー氏が、二人の熟練したイラン人タイル職人とともに、一ヶ月かけてルーダキー廟のドームを修復する予定である。」

 ルーダキー廟は、アッタール廟のようなイラン式の墓廟の建築様式【注1】で造られており、八辺形の土台の上に半球形のドームをもつ。ロクニー局長は、次の点に言及している。
 「百平方メートルの面積をもつルーダキーの墓廟のドームは、青いタイルで覆われており、「ハイヤーム・プラネタリウム」【注2】の天球の形で造られている。」

さらに同局長は、以下のように話した。「100平方メートルに及ぶドームの全体がイランの優れた職人の手によって修復され、青いタイルによって再び甦るのである。これらの作業は墓廟の美しさを倍増させるであろう。」

 ルーダキーは西暦9-10世紀の詩人で、サーマーン朝の時代に生き、世界におけるペルシア詩の広まりと成熟において甚大な役割を果たした。ルーダキーの最も重要な功績は、『カリーラとディムナ』【注3】を韻文で著したことである。

 ルーダキー廟は、タジキスタンの首都ドゥシャンベから180キロ離れたパンジルード[パンジケント] 村にある。



【注1】 アッタールは、12-13世紀の神秘主義詩人として知られる。ニーシャープールにある現在の墓廟は1950年代に建造されたもので、八辺形の土台のうえに玉ねぎ型のドームをもつ。ルーダキーの墓廟はソ連期に建造されたと言われるが、一部メディアによる写真を見る限り、土台は四辺形で、アッタール廟よりもブハラのサーマーン廟などに近似している。
【注2】 Khayyam Planetarium は、『ルバイヤート』で知られる13世紀の詩人・天文学者のオマル・ハイヤームの墓廟の近くに建設中の巨大プラネタリウムと天文学研究・教育施設。
【注3】 サンスクリット語の寓話集『パンチャタントラ』が6世紀に中世ペルシア語に訳され、さらに8世紀にアラビア語に訳され『カリーラとディムナ』の名で知られるようになった。『千夜一夜物語』の源泉のひとつとも言われる。

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( 翻訳者:前田君江 )
( 記事ID:14910 )