Ismet Berkan コラム:裁かれるのは何か?
2008年10月21日付 Radikal 紙

極めて、本当に極めて長い時間待たされたエルゲネコン裁判が、云わば昨日(20日)始まったが、真にはいまだ始まっていない。

被告人の数に見合う法廷の場所を未だ見つけられず、今後見つかるかどうかもわからない。

法廷環境が適切で、エルゲネコン訴訟の重要性に見合うものでないとすれば、被告人の弁護人たちも実際、常にクライアントたちの利益に沿わない要求をしたし、あるいは今後するだろうと述べた。

もし本当に訴状が審理において容疑者たちの面前で読みあげられる必要があるのなら、被告人たちの弁護はもう少し遅れることになることを意味する。考えても見てください、訴状は2,500ページである。一日に100ページ読まれたとして、審理日のみで25日かかり、250ページ読まれたとすると10日、つまり2週間かかる。

しかしその後の弁護に移ることになり、私にすれば真の訴訟はその日に始まることになる。

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砂煙の中ですべての人の頭が混乱し、この訴訟で何が裁かれているのかが徐々に忘れられていると感じている。この砂煙に気を取られないでください、凡その検察の主張について、要旨をここに示したいと思う:

トルコでは2003年と2004年に、政府を打倒するために軍事クーデターの実施が望まれていた。さらに、参謀総長は傍らに司令官らを従えて全将軍たちを回り、一種の「クーデターを起こしませんか」という調査をおこなった。

当時さまざまな理由でクーデターは実施されなかった、あるいは実施されえなかった。そして当時においては「実施されえなかった」と考えた一部の司令官たちは、自らの退役数カ月前に、自身が民間人となった際に、軍にクーデター実施を余儀なくさせる政治的雰囲気を醸成させる計画を用意したのだ。

これらの計画は、我々皆の税金によって実施される、国家に属する計画の権限を用いてなされた、このことを忘れないで頂きたい。

後にこれらの計画に従って、国内でクーデターの雰囲気を醸成するために様々なことがなされた。これらには種々の爆破事件や暗殺も含まれる。

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いかにも(検察側の)主張の本質はこうである。しかし、昨日始まった審理において読み上げられた起訴状では、簡潔にかつ纏められたものとしてこの事件が説明されていない。説明されていないために皆の頭が混乱するのである。

実際に2003年と2004年におけるクーデターの企てに関し、誰も告訴すらされていない。この告訴が民事検察の仕事なのか、軍事検察の仕事なのか、私には分からない。しかし、エルゲネコンの書類の中にあり、当時の一司令官のものであると理解されるある覚書は、先に言及した国内(の将軍)ツアーの中で書き留められたものであり、このツアーの時に将軍の地位にあり司令官の肩書きを持つ人々が大っぴらにクーデターを口にしていたのだ。

今エルゲネコン担当の検事は、そのクーデター話に参加していた者のほんの2人を尋問の対象にしたに過ぎない。この二人の退役将軍のうちの一人は現在拘置されており、もう一人は脳出血を患った後に釈放され、現在は治療を受けている。

検事はこの二人の退役将軍を未だ公式にも告訴しておらず、彼らに関する起訴もしていない。尋問が現在続いており、よってこの尋問がいつでも(範囲を)拡大し得るか、あるいは起訴状(追加の訴状だろう)作成の段階である。

この起訴状が書かれ法廷に提出された時、我々は事件の全貌をよりはっきりと見ることができるだろう。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:14939 )