CAN DUNDARコラム:アメリカのクルド政策
2008年10月16日付 Milliyet 紙

アブドゥッラー・オジャランがトルコに引き渡された時期の首相であったビュレント・エジェヴィトは、後々に「アメリカがアポ(オジャランの別称)をなぜ引き渡したか、まだ解らない」と言っていた。
しかし、オジャランは既にその理由を引き渡し直前にオズギュル・ポリティカ(自由政治)紙に説明していた。
「直接的にアメリカ合衆国によって方向付けられた謀略によって、民族解放戦線の徹底的な根絶が目的とされている。北イラクのクルド系リーダー達が参加したワシントン宣言プロセスは我々の消滅の上で成立している。バルザーニとタラバーニーがアンカラに行ったのもこの枠組み内の事柄である」
オジャランは自分に対する謀略に気付いたが、逃げ切れなかった。
拘束後直ちに集まったPKK党大会がこの作戦を「アメリカ合衆国帝国主義とトルコ・ファシズムとクルドの裏切者」による共同の謀略だと受け止める声明文を発表している。

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一昨日、NTV で報道番組「なぜ?」に出演した元国家諜報機構副長官ジェヴァト・オネシュの説明がこの「謀略」を確認する内容となっている。
オジャランが拘束された時期に国家諜報機構において高級官僚の地位にいたオネシュによれば、「あの頃、アメリカは独立したクルド国家を樹立させようと願っていた。オジャランの立ち位置はこれを妨げていた。アメリカ合衆国はこの地域に新たなクルド国家樹立を可能とするために、オジャランをトルコに引き渡した」
さて、次は何が起こるのだろうか?
行間を少しでも注意深く読める者にとって、この答えを見つけるのは困難ではない。

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トルコがアメリカ合衆国の監視下で北イラクで陸軍による作戦を行っていた時、同じく報道番組「なぜ?」で戦略専門家ニハト・アリ・オズジャンが次のように言っていた。
「アメリカはPKK問題に関してトルコを助けている。最後になって、『ほら見ろ、助けるだけ助けたが見ての通りあなた方は成果を出ないでいる。ならば、別のフォーマットに切り替えよう』と言いかねない。
ちょうど同じ時期に英国のエコノミスト誌が、オズジャンの見方を補完していた。
「アメリカ合衆国の情報支援はそれだけで完結しない。まず、北イラク政府と接触するよう圧力をかけ、それからPKKメンバーの恩赦・釈放を含む政治的・外交的な解決を示唆するだろう。」

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ヒントを集めるとこれまで我々の身に起こった出来事を意味づけるのが容易になる。
アンカラは苦しいプロセスと成果のない無数の越境作戦の果てに、一昨日バルザーニと対話することを甘んじて受け入れた。
ワシントンは中東における新しい協力者であるクルド人と昔からの協力者であるトルコを近付け、こうして自らの地位を強固なものにしようとしている。
また、これは、ただワシントンのかなり前から開発してきた計画であるのみならず、この地域に大きな投資をしているか投資しようと考えている大資本の要求でもある。
不可思議な現象かもしれないが、この接近プロセスに頑固に抵抗する二つの勢力がある。これを反逆だと受け止める民族主義者行動党(MHP)と支配領域をバルザーニに奪われたオジャランだ。
トルコは、解決に関して主導権を握らないかぎり、自分の悩みの治癒手段を自分で見出さないかぎり、自国民のために平和や民主主義や自由の扉を開かないかぎり、海外の計画の一部分でありつづけ、後々になって「なぜこんな惨いことを?」と問いつづけるだろう。

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( 翻訳者:イナン・オネル )
( 記事ID:14952 )