Hasan Pulur コラム:憲法改正論議、再び…
2008年11月15日付 Milliyet 紙

ティムール・セルチュクの素晴らしい歌がある。「経済が好調だ…」
「なんとまあ有り難い!」単に経済だけではなく、ほぼすべてのことがうまくいっている…。
うまくいっているがために新たな課題が作り出され、新たな問題が出されてきている。
何百万もの人々が失業し、また何百人もが最低生活線上にあり、そしてテロが頻繁に起こっている。
なんてありがたいことだろう、物事がうまくいっているために喧嘩や論争のための新しい問題が探し出されている。
そうでなければ、憲法裁判所のハシム・クルチ長官が憲法の変更不可原則と変更提案不可原則を議論しようとしただろうか?

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憲法の変更不可原則とは何か?
「第1条‐トルコ国家は共和国である。
第2条‐トルコ共和国は、社会の安寧、国民の連帯と公正において人権を尊重し、アタテュルクのナショナリズムに忠実であり、冒頭に明記された基本原則に依拠した、民主的で世俗的、社会的な法治国家である。
第3条‐トルコ国家は国土・国民と分かたれることのなく一体である。その言語はトルコ語である。国旗はその形状が法律で明示されている白い月と星のある旗である。
国歌は独立行進曲である。首都はアンカラである」
この3条項に続く「第4条」は、上記の3条項が変更不可であり、そして変更を提案することもできないと定めている。

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まさに憲法裁判所のハシム・クルチ長官が議論を始めようとしている「共和国の基本原則とはこれらのこと」である。
変更するためには何をする必要があるのか?
少なくとも第4条を廃止する必要がある…。
このような議論を始めることは出来ないだろうか?
出来ないということなどない。始めることは可能だ。ただこの議論を始める人物は、憲法を守るという職責を負う憲法裁判所の長官なのか?
議論されるべき別のことはないのだろうか?
憲法裁判所はひとつの委員会であり、決まった数の正委員がおり、また決まった数の予備委員がいる。憲法裁判所の創設記念日に議論される主題は、長官の口から出るのだろうか。他の委員に発言権、投票権はないのだろうか?

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その長官を皆さんはよくご存じのはず、憲法裁判所の長官である。彼はトゥルグト・オザル元大統領によって任命され、憲法裁判所の委員によって憲法裁判所長官職に選出された。世論に対し「公正発展党は解党されない」という朗報をもたらした人物であり、公正発展党を「世俗主義に反する行動の焦点」とした判決にも反対の立場をとる。

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憲法の変更不可原則について議論を開始することが、長官の「地位と身分」にとって適切なのか、適切だとしても奇妙だと思われないのか?

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この記事を書き終えたところで、釈明会見の内容が届いた。ハシム・クルチ長官は「私はそうは言っていない!」と言っている。
「憲法裁判所のハシム・クルチ長官は、ビルケント大のシンポジウムでの自身の発言が、『クルチ長官は憲法の変更不可条項の議論を始めたいと考えている』と報道されたことに反発を示した。

クルチ長官は、書面での説明で次のように記した。
このような微妙な問題を憲法裁判所の創設記念日に行うシンポジウムでテーマとすることは、裁判所の立場からすると不可能なことであり、とても出来ないことであると伝えて会議を後にしました。それに我々の憲法で問題となっている条項について評価付けもしませんでした。招待いただいたことに対する謝辞スピーチの内容を、一部の報道機関や個人が、『憲法冒頭の3条項の議論を始め、変更することを望んでいる』というかたちで理解し、そして本来の目的から外れた、批判とは正反対の評価付けをして、ユートピアを創造したことを見ることは悲しいことです」
説明は以上のようだった。
我々はそういう釈明が出てくるだろうと思っていた。

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この記事の原文はこちら
クルチ長官が出したプレスリリース

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:15134 )