Taha Akyol コラム:バイカルとケマリズム
2008年12月08日付 Milliyet 紙

チャルシャフ(黒衣)の着用者の割合は2%であり、いかなる社会的な活動もなく、そして徐々に縮小している層の服装である。
普及しているのは伝統的な、頭を覆うスカーフ姿である。イスラーム風スカーフはより近代的なテセッテュル(ムスリマが身を覆うこと)の一形式だ。
当然のことながら、バイカル共和人民党党首の目的は2%から数千票を得ることではない。バイカル党首は、服装についての強迫概念が共和人民党と国民との間に心理的な壁を作ってしまったと認識しているのだ。

共和人民党は、近代性を服装とダンスパーティーで測る伝統を持つ政党であり、歴史的に「名士と官僚の政党」であった。それゆえに1930年代から40年代には、「大衆から乖離し」、「厄介な」寡頭政治的な派閥になったのだ。
これらは私ではなく、シェヴケット・スュレイヤの分析結果だ。
アタテュルクも1930年に野党の「自由共和党(Serbest Cumhuriyet Firkasi:1930年8月結党)」に、人々がなぜ諸手を挙げて賛同するのかを理解するために国内視察に出た。その際に、まだ閉鎖されていなかった「トルコ人の炉辺」での意見交換や人々との生き生きとした関係を見て、共和人民党の「扱いにくさ」をひどく叱責したのだった。

■共和人民党はなぜ扱いにくいのか?
今日の共和人民党はというと、バイカル党首自身が次のように説明している。

共和人民党のデニズ・バイカル党首は同党の扱いにくさについて不平を述べた。
バイカル党首は、「共和人民党には目下、厄介なメカニズムがあり、党はこの構造のままでは立ちゆきません。これを変える責務が我々にはあります」(2008年9月2日付Milliyet紙)。


1950年以来、得票数はそもそも明らかである!なぜ、民主党、公正党、祖国党そして公正発展党といった政党は、常に共和人民党よりもはるかに活発でダイナミックなのだろうか?!

こうした状況の基底には、社会的なダイナミズム、つまり大衆の不満、必要そして要求と、どの程度コミュニケーションをとっているかという問題がある!
共和人民党の「上意下達」遺伝子は、社会の各層において政党へ向かうダイナミズムの進展を妨げ、少なくとも鈍化させたのだ。この唯一の例外は、1970年代に故エジェヴィトが主導した「中道左派」運動である。
エジェヴィトと同僚たちはこれを成功させるために、「一党支配」の伝統を批判し、新しい主張を進展させ、ついには「人々に開かれている」ということを大衆に信じさせたのだった。

■政治的信念
今もバイカルは、自分の党と大衆の間にある重大な心理的障壁の一つである「服装進歩思想」を乗り越えるためには、「一党支配」の伝統を批判し、その伝統が自国民が自国の首都の大通りで政治的活動をすることを禁じたことを思い起こさせなくてはならないと感じている!
そして「ケマリズム信奉者」の厳しい批判に晒されている。
共和人民党の幹事長であった頃のエジェヴィトをも「アタテュルクの敵」として非難した者たちがいたのだ!
故ニハト・エリムの印象的な短い言葉は有名である。
「共和人民党の幹事長がアタテュルクを批判することは出来ない!」
エジェヴィトは、この問題に関する見解を『アタテュルクと革命主義』という名の著書の中で説明している。
著名なケマリスト作家たち、ヤークップ・カドリやファリフ・ルフクたちも、共和人民党を「アタテュルクに対する裏切り」と非難し、辞任したことがなかっただろうか、いやあったのだ。

ケマリズムが熱狂的な政治的信念となったことは、過去においても今日においても、何よりも共和人民党自身を凍りつかせ、ドグマ化させ、党の進展を妨げている。
しかし民主主義の「合理性」とは、政党が異なる集団をある政治的な屋根の下にまとめ、「政治参加」を保障することである。共和人民党の「遺伝子」は、長い間これを妨げている。

私はバイカルが成功することを祈っている。さらに重要なことには、「門戸開放」という言葉を恐れないこと、そして共和人民党の「遺伝子」に対しエジェヴィトのような断固とした姿勢をとることを願っている。他に説得力を得る方法は実際、ないのだから。

*全ての読者の皆様、犠牲祭おめでとうございます。ご多幸をお祈り致します。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:15297 )