アレヴィー派諸団体、マラシュ事件追悼集会を計画
2008年12月15日付 Radikal 紙

マラシュ事件から30年目の節目にアレヴィー派の人々は、12月21日にアダナで集会を行う。集会では、事件で命を失った人々が追憶されるだろう。

アレヴィー派団体は、11月中に行った「アレヴィー派大規模集会」の後、今回マラシュ事件の節目の年に集会を行う。ピール・スルタン・アブダル文化協会の先導でアレヴィー派の団体は、12月21日にアダナでの大規模な集会において、マラシュ事件で命を失った人々を追憶する。ウウル・ムムジュ広場で13時から開かれる集会のために、トルコのあらゆる場所から市民がアダナへやって来る。集会では、マラシュ事件で親縁を失ったオザン・エメキチ氏がコンサートを行う予定だ。

アレヴィー派の人々が、いくつかの要求に関連して11月9日にアンカラで行い、そして多くの論争の舞台になった集会の後、今回またマラシュ事件の際に命を失った人々を公の場で追憶するだろう。(そして)カフラマンマラシュ事件が、30年目の節目に(この)大規模な集会によって非難されるだろう。ピール・スルタン・アブダル文化協会と、アレヴィー・ベクタシ連盟の先導で、12月21日の日曜日にアダナで「30年目の年に、マラシュでの虐殺をわれわれは忘れていない、忘れさせない」というスローガンで行われる集会には、トルコのあらゆる場所からの市民の参加が期待されている。

■ 責任者たちは裁判にかけられなかった

ピール・スルタン・アブダル文化協会のフェヴジ・ギュムシュ代表は、マラシュ事件から30年が過ぎたことに注意を向けつつ、以下のように述べた。「この虐殺で、責任があるとされた人々は、一方では全く裁判にかけられることなく救われ、また一方では偽りの裁判文書をもって裁判にかけられ無罪にされた。なぜなら、マラシュ虐殺が計画された際、そのシナリオの最も重要な部分が、虐殺者たちがまず隔離され、そしてこの措置をもって無罪が宣告されることであったのだ。」

また同氏は、マラシュ事件の目的が、(1980年)9月12日の軍隊によるクーデターの地ならしであったことを主張しつつ、以下のような主張も述べた。

「人々と信仰の園であるマラシュで、アレヴィー派の人々や左派の人々、そして民主主義者たちが、虐殺に追い込まれた。このように大いに仕組まれたシナリオが、国家の深層から許可が得られないで行われることはありえない。そもそも虐殺における中心が深層国家であったことが、後年ビュレント・エジェヴィトの引き出しから出てきたノートで明るみとなった。スィヴァスで33人を焼き殺した虐殺に関し『われわれは、スィヴァスのシャリーア主義者の組織力と、あらゆる試みにおいてどれほどの期間で(それを)統制下に置くことができるかを知りたかったのです。しかし統制できず、襲撃者たちを制御できなかった』との深層国家の考えは、歴史上ずっと反啓蒙主義者やシャリーア主義者、そしてファシズム支持者の力と腕を組んで共同歩調をとってきた。マドゥマク(・ホテル)虐殺15年前はスィヴァスとチョルムにおいてであった。なぜならこの考えの存在する理由が、(そうした勢力への)重要な支援と奉仕目的の特徴を明確に示しているのです。

マラシュでの非人道的な虐殺がわれわれの良心に作りだした恥(と思う気持ち)を、共に拭う必要があると信じています。マドゥマクへの共通した記憶(の中)でぱっくりと開いた傷口を、民主主義、人権、自由、平等、多文化主義を信じる層の人々により覆うことができるとわかっています。虐殺(事件)と向き合うこと、そして本当の犯人が見つけられる必要性(のあること)を信じ、マラシュ(での事件)が忘れられた場合には、異なるアイデンティティや信仰を持つすべての人々の生命と財産の保障への脅威が増し続けるであろうと考えています。」

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:15336 )