故エジェヴィト元首相の墓、移転へ
2008年12月15日付 Milliyet 紙

ラフシャン・エジェヴィト夫人は夫のビュレント・エジェヴィト元首相の墓を、「死の影」と表現する国立墓地から、子どもたちが遊ぶアフラトゥルベルへ移転させるため大臣の承認を得た。

ラフシャン・エジェヴィトは、夫のビュレント・エジェヴィトの墓を、「死の影」と表現する国立墓地から「凧の影」が飛びかうアフラトゥルベルへ移転させるため国防省から必要な許可を得た。近年までエジェヴィト夫妻が一緒に散策していた、チャンカヤ区境界に位置するアフラトゥルベルの選択には、ラフシャン夫人が死につつまれた墓地よりも毎日数千人が訪れる場所を好んだことが影響した。

■ 墓地ではなくて

ビュレント・エジェヴィト元首相は2006年11月5日に亡くなった。ラフシャン夫人にとって墓はその日以来大きな問題となった。11月11日に執り行われた葬儀ではラフシャン夫人は、夫の棺から離れずに何キロも歩いたが、それと同時に彼女が望んでいなかった墓地に夫を送り出した。
夫を国立墓地に埋葬することに反対したラフシャン夫人だったが、必要な準備ができなかったために最初の段階ではそのことを受けいれざるをえなかった。それ以来一度も墓地を訪れていない。

民主左派党(DSP)の創設者で元党首のラフシャン・エジェヴィトは、国防省に夫の墓をほかの場所へ移転するよう要請しており、先日前向きな回答をもらった。ヴェジディ・ギョニュル国防相は墓の移動に際して何も問題はなく、必要な支援をする準備があると述べた。ラフシャン夫人はちかくチャンカヤ区に対して要望をおこなうと見込まれる。

何年間かエジェヴィト元首相の公式ボディーガードをつとめた、民主左派党(DSP)イズミル選出のレジャイ・ビルギュン国会議員は、「国立墓地が完全に死をあらわす静かな墓地であること、それに対しアフラトゥルベルは夏も冬も首都に住むひとびとが訪れる生命力にあふれた場所であり」、それがラフシャン・エジェヴィトがアフラトゥルベルを選ぶ際に影響を与えたと述べた。

■ 墓地を訪れていない

ビルギュン議員は、区は独自にそれぞれの希望した場所を墓用の土地として公表できること、ただしチャンカヤ区に正式に要請をしたあと具体的にどのような方法でなされる必要があるのかが判明すること、まだ詳細は分かっていないことなどを明らかにした。

ラフシャン夫人は、自身の希望を実現する際、風があるおかげで子どもたちが凧揚げの場として使っているこの丘に、数千人もの人が訪問すると同時に墓を訪れるようになることで、夫を人々の暮らしの一部に取り戻したことになる。

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( 翻訳者:松岡聡美 )
( 記事ID:15339 )