Fikret Bilaコラム:クルド語放送5つの狙い
2008年12月28日付 Milliyet 紙

TRTによる、クルド語テスト放送が始まった。新年とともに24時間放送へ移行する予定だ。
 TRTの24時間クルド語放送が国家の政策であることに疑いはない。クルド語テレビ放送が、トルコ共和国の政策において非常に重要な転換点となることを歴史に記す必要がある。
 1980年代に「クルド人はいない」と言いクルド語を禁じた政府が、公営放送において24時間のクルド語放送を始めることは、非常に重要な変化が生じていることを示している。クルド語放送という政策で、国家は何を狙っているのか、以下の点を挙げることができよう。

■テロの火種に対する政策
 1.TRTのクルド語放送は何よりまずテロの火種と関わっている。参謀総長イルケル・バシュブー大将があらゆる機会で強調する「テロ組織への参加が止むことなく続いており、それゆえこの原因を取り除くための対策に重点が置かれるべきである」というメッセージは重要であった。武装したテロリストに対し武力闘争を継続する一方、同時に経済的、社会的、そして文化的分野での対策の中に、クルド語放送も含まれるのは明らかだった。TRTの放送はこの対策の一つの産物だ。目的は、クルド労働者党(PKK)への参加を容易にする環境の排除に貢献することである。言語、そして放送に関してクルド労働者党と民主市民党(DTP)の共同路線が主張している論点の一つの、その効力をなくすことである。

■文化的分野
 2.TRTがクルド語放送を実施することは、文化的多様性とは単一国家という構造に傷をつけずに、「政治的分野での集団の権利」として見られることなく、「文化的分野での個人的自由」であるという文脈において実施され、なされるアプローチとして捉えられている。

■PKKの放送独占
 3.PKKは、何年もの間外国から様々な名の下、クルド語テレビ放送、ラジオ放送を行っている。違法的手段を用い、自身のプロパガンダを広め支持者を集めている。クルド語以外の言語を知らないトルコ国民に対し影響力を行使しているということに疑いはない。TRTの放送により、クルド語放送という分野がPKKの独占から免れたのだ。
 クルド系の国民が、このPKK系放送局の影響下でのみ出来事をとらえるのを防ぐためでもある。放送分野がPKKの手にだけ任されることは、テロとの闘争を複雑にする要因であった。この現実が理解されたのだと思われる。

■放送の内容
 4.テレビ放送では使用される言語と同様、放送の内容も重要だ。TRTの放送には、クルド系国民の文化的、現実的要求に応えるだけの「豊かさ」がある必要がある。PKKのプロパガンダのための手段を無効にする必要がある。これを行う一方で憲法、ラジオ・テレビ高等機構およびTRTの諸規則に適した放送を行うことが必要だ。PKKや分離主義者が使用する言語、シンボル、民謡、歌という形式と、現実の文化的要求に応える放送内容を一緒にしてはならない。

■民間放送、権利、自由
 5.クルド語放送がTRTの独占であり続けることもまた別の争点である。TRTは、(このチャンネル、すなわちTRT6を)多言語チャンネルと謳っているがクルド語チャンネルとはいっていない。この点において、「権利か、自由か」という議論が起こるだろう。
 公式な言語以外の母語での放送は権利か、自由か?この問題は、民主主義においては自由として取り上げられるべきだ。権利として見られれば、今度は政府が様々な言語のための放送を行う必要がある。
 クルド人のために行われる放送は、異なった母語を持つほかのトルコ国民にとっても、要求できる一つの権利になる。それなら民主主義において政府の義務は、この分野における障害を除き自由を保障することである。
 自由を保障した後は、申し出や要求の状況により国民は放送を行うことができる。このためクルド語放送は、「TRTの義務、もしくは政府が行うべきものという認識」から離れ、憲法とラジオ・テレビ高等機構の諸規則の中で、民間の試みによって「自由」が行使された、その一つの表れとなる必要がある。

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( 翻訳者:岩根匡宏 )
( 記事ID:15433 )