イスラエルはどれくらい強いというのか? ガザ侵攻は06年のレバノン戦争の延長線上に
2009年01月04日付 Radikal 紙

今日、ハマスをテロリストと呼ぶイスラエルは、以前にはアラファトをテロリストと呼んだ。そして今ガザにしていることを、ラマッラでアラファトに対して行った。

イスラエルがガザで始めた今回の空爆は、2006年のレバノン戦争の延長線上にある。安全保障のために常に暴力に訴えるイスラエルは、建国された1948年からこれまでに、軍事力を行使して、当該地域の支配を確立しようしている。

イスラエルが優位を占めようとする裏には、矛盾する二つの意向がある。ひとつはアラブ人に対する軍事力と政治力の優位性、もうひとつは、アラブ人にイスラエルが消滅させられてしまうのではないかという恐れである。つまりイスラエルが行う暴力や力の誇示の裏側に、深刻な被害妄想と不安がある。このため、イスラエルにとっての選択肢は、常に殺害されるか、殺害するかのどちらかである。イスラエルのバランスを欠いて強力な軍事力の行使や、国際的な組織を全く無視した姿勢は、歴史的深層にその根源を求めなければならないこの被害妄想にあるのである。

1967年にアラブ諸国軍から勝ち取った軍事的勝利とその後の占領は、イスラエルの軍事力と当該地域での立場を強固なものとしたが、全ての勝利と同時に、イスラエルが内包する弱さも一緒にもたらした。イスラエルの勝利から、パレスチナ解放人民戦線が生まれ、この抵抗は20世紀に足跡をのこすことに成功した。そして内包する全ての矛盾に反して、パレスチナの民を占領と圧迫に抵抗する英雄の民として世界史に登場させた。

ガザは、パレスチナの民の抵抗のシンボルである。今日、ハマスをテロリストと呼ぶイスラエルは、これ以前にアラファトをテロリストと呼び、現在ガザになされていることを、ラマッラでアラファトに対して行った。イスラエルの攻撃を正当化させるテロリストは、常に存在し続けるだろう。抵抗し、敗北しないのは、パレスチナの民である。いかなる政治構造も、その背後に民衆の支持がなくては、存在することができない。

イスラエルは、2006年に一方でガザのハマスを、他方ではレバノンのヒズブッラーを壊滅させようと、2つの前線で戦争を始めた。これらの戦争は、ブッシュ政権によって承認され、支持された。これらの戦争でイスラエルは、強力な空爆でレバノンのすべてのインフラと交通手段を破壊し、レバノンでヒズブッラーを壊滅させ、その後はガザでハマス政権を崩壊させられると信じていた。しかし34日間続いたレバノン戦争は、ヒズブッラーを壊滅させるどころか、内戦時代に敵同士だったムスリムとキリスト教徒を団結させた。レバノン市民は、イスラエルに対して抵抗した。ヒズブッラーの代表であるナスルッラー書記長は、戦争の勝利とイスラーム世界の英雄として、イスラエルに対する敗北はアラブ人の定めではなく、イスラエルにも弱点があることを全世界に示したのだった。

それまで従来のアラブ軍に対し勝利してきた強大なイスラエル軍が、常備軍をもたず、始めたばかりの戦略で戦うヒズブッラーに勝つことができないとは、一体どういうことだったのか?空爆で優位を保つイスラエルは、ヒズブッラーを標的として攻撃したと主張するが、レバノンで一般市民の死者1,109人、負傷者4,399人を出すこととなった。イスラエルの激しい空爆に対しヒズブッラーは、戦争の初日からイスラエル北部の都市を標的としたロケット攻撃をし続けた。イスラエルは地上戦をせざるを得なくなった。従来のアラブ軍と戦うことに慣れていたイスラエル軍は、ヒズブッラーの戦略に対し、うまく対応することが出来ず、兵士に死者を出していた。イスラエルは、レバノン全土から撤退した。そしてインフラは破壊されたが、高い志と尊厳をもつ民衆を残すこととなった。イスラエルの不当な行為と一般市民の虐殺を目にした世界世論は、米国の全面支援にも関わらずイスラエルに対する反発を示し始めた。
今日、「ハマスを壊滅させる」と言って、ガザで一般市民を虐殺しているイスラエルは、2006年、レバノンでの敗北から何を学んだのか、このことは近いうちに分かってくるだろう。

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( 翻訳者:塚田真裕 )
( 記事ID:15526 )