Hamdullah Ozturk コラム:「エルゲネコン」の推移
2009年01月11日付 Zaman 紙

ジャンダルマへの通報によりウムラニエで爆弾が押収された。その痕跡を辿った検察は、エルゲネコンの入り口にまでたどり着いたのだった。ウムラニエ訴訟がエルゲネコン訴訟に姿を変えたときから、緊張は急に高まった。

最初、「クーデターをこれらの人物が起こすというのか?」といった軽視した言葉が投げかけられた。その後、主張されていることと、容疑者の言い分が一致しないという理由が示され、「この訴訟からは何もでてこないだろう」と言われ始めた。端的に言えば、エルゲネコン訴訟は、「たわ言」から成り立っており、結果も何もでてこないはずだった。まだ事の詳細があらわになっていなかったのだ。ヴェリ・キュチュクやその他の人物の逮捕は悪いことにはならなかっただろうに。実際、ススルルク事件でも名前がでていて、存在は知られていた。裁判所が有罪判決を出せば、エルゲネコンの爪を切り、浄化に貢献したことになっていただろう。もしくは容疑者たちのうちの一人が裁判所で証言したように、「シラミを落とす」行為になっていただろう。

イルハン・セルチュク、ケマル・アレムダルオール、ドウ・ベリンチェキとともに退役大将のシェネル・エルイグル、フルシト・トロンが逮捕されると、様相は一気に変わった。訴訟の重大性、裁判所の決意の強さが現われるとともに、「これらの人物が起こすのか?」という言葉で軽視されていた人々から、決して軽視されえないところに到達しえたことが見てとれた。最初の反応は、10回目の逮捕劇と同じように、バイカル共和人民党党首から出た。バイカルは、「すべてが詳細にわたり計算されている」と言った。実はバイカルのこの発言は、正義がエルゲネコンに優遇措置をすることなく、すべての人や組織を平等とみなし実行するという意思を、政治基盤に後押しすべく使われた最初の言葉だった。続いて、ドウ・ペリンチェキと彼が所有していた雑誌『アイドゥンルク』が、トゥンジャイ・ギュネイと意思疎通し、エルゲネコンを全く別の方向に持っていこうとする企てが始まった。ギュネイがテレビ画面に出続けるだけでなく、インタビューは本として刊行すらされた。

同様にして国の諸組織が足並みのそろった姿勢をとったことは、初期のころにこの訴訟を軽んじてみていた人々を大変驚かせることになった。この時以後、リアクションも態度も真剣になり始めたのだった。なぜなら不法で実用的な面ではなく、合法で理論的な面も姿を現したからだった。実際、テロ組織でさえも、合法的な構造と非合法的な構造があるのであるから、エルゲネコンのように、周到に構成され、国内外の関係をその組織にしっかりと結合させ組織化されたものが、理論武装を怠っているなど考えられないことであった。

この段階の後、すべてがより深刻化した。裁判所の背後に、ある宗教団体(教団組織等)を置いて政治的利益を出すつもりだという主張で公正発展党を標的としたり、そしてもしエルゲネコン裁判がこのかたちで継続するのであればイスラーム法に屈伏したトルコと直面するため、不注意の重い代償を支払うEUを標的とした発言と動きが重要性を帯び始めた。政府に責任が問われ、法務大臣と事務次官に対し、「君は、某月某日にイスタンブルに来ましたか?」といった種類の問いが向けられていた。目的は、政府が政治的利益のために裁判所に圧力をかけていると見せて、国家の諸組織に「これは政治的な訴訟である」という論を信じ込ませ、政府に反対する姿勢を強いることだった。
方程式は次のようにたてられた。
エルゲネコン訴訟は、公正発展党が解党訴訟のリベンジをするため、そして対抗革命を成功させるために開始させた反撃である。この状況にあっては、国家の諸組織、特にトルコ国軍は立ち位置をはっきりさせざるを得ないのである。

10回目の逮捕劇は、まさにちょうどこうしたタイミングに起こった。トルコ国軍は、二人の元大将と様々な階級の現役将校の尋問要請を承諾し、「法治国家に敬意を表する決意を示した」。イルケル・バシュブー大将はコメントせず、首相と大統領を訪問することを選んだ。10回目の逮捕劇でイブラヒム・シャーヒン、ケマル・ギュリュズ、サビフ・カナドオールといった面々が一緒に語られることで、実動派と理論派の輪に再度、高い注目が向けられた。こう考えてみよう。イルケル・バシュブー大将が面談でギュル大統領とエルドアン首相に国家元首としてこの訴訟により重きを置くように要請していたら、そして彼らも同意していたら、状況はどうなるのだろうか?コーラスは、『政治は、司法の独立性に触れないように』という歌を歌い続けるだろうか?

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( 翻訳者:岩根匡宏 )
( 記事ID:15546 )