ハータミーとキャッルービーを比較する:現在の状況下でどちらが大統領にふさわしいか?
2009年01月12日付 E'temad-e Melli 紙

【アスレ・イラン】改革派戦線で立候補が取り沙汰されている、ハータミーとキャッルービーという二人の人物をめぐる議論が、政界、マスコミ、そして世論の注目を集めてすでにしばらくになる。一方で、前大統領にして改革派の象徴的存在であるセイエド・モハンマド・ハータミーが人々の話題に上り、他方で左派陣営を代表する人物の一人として、これまでつねに存在感を示してきたメフディー・キャッルービーの立候補が取り沙汰されている。

 この両者はいずれも、現在の政界において見出すこのできる極めて貴重な人物であり、大統領選で両者のいずれかを支持したからといって、他方を尊敬しないとか、その価値を認めないとかいうことにはならないということを、ここできちんと申し上げておかねばならない。

 このように前置きした上で、本論の目的は、この両者のいずれが次期大統領となるによりふさわしいかという疑問に答えることを通じて、両者の比較をしてみることである。

 この比較を通じて議論したいのは、次期大統領に両者のいずれがよりふさわしいかということであって、どちらが総体としてより優れた人物かということではない。この議論で行われる比較は、当然現在の政治状況に依存するものであり、政治状況が違えば、結論も異なることがありうるということを強調しておきたい。

改革派としての経歴

 メフディー・キャッルービーはその政治人生のまさに始まりから、左派陣営の一翼を担ってきた人物であり、右派(現在は原理派と呼ばれている)に対する正真正銘の批判者としてならしてきた。彼は第三期国会〔1988-1992〕で国会議長に就任し、イマーム・ホメイニーの逝去後の政治的状況の中で、急進派が国会内で権力を操ることのないよう、第三期国会を首尾よく運営してきた。

 キャッルービーはまた第六期国会でも〔再度国会議長に就任して〕、改革に抵抗する勢力と衝突を繰り返す一方で、対立する党派の力を理解した上で、〔改革派が支配する〕第六期国会が極端に走ることのないよう、手綱を引き締めてきた。もし改革派が過度なスピードで猛進するようなことになれば、改革派を谷底に突き落とそうと虎視眈々と狙うライバルたちに絶好の口実を与えかねないと、キャッルービーは懸念していたからだ。

 セイエド・モハンマド・ハータミーもまた、第二次ミール・ホセイン・ムーサヴィー内閣、及び第一次ハーシェミー=ラフサンジャーニー政権で文化イスラーム指導相を務めていた時代、誰の目にも明らかなように、改革主義的な路線を取っていた —— 文化イスラーム指導省での彼の政策に対する圧力が高じて、最終的に彼は辞任に追い込まれたのだが —— 。そして、1376年ホルダード月2日〔1997年5月23日〕という忘れがたい日に大統領選で勝利を収め、改革派の象徴的存在として、自らの地歩を確固たるものにしたのである。

大胆さと歯に衣着せぬ態度

 イランで改革を推し進めるためには、スローガンや外交辞令、単なる理屈(いかなる合理性も受け入れようとしない連中に対しては、特にそうだ)では不可能であることは、疑う余地がない。改革主義を実現させるためには、「歯に衣着せぬ物言いと行動における大胆さ」という《濃厚な味付け》が必要なのである。

 ハータミーとキャッルービーという二人の人物の過去の経歴に鑑みるならば、この領域においては、メフディー・キャッルービーの方がセイエド・モハンマド・ハータミーよりも優れた経歴を持っていると言わざるを得ない。

 確かにハータミーは確固たる信念で行動してきた人物だが、しかし政治・イデオロギー闘争においては、求婚者が女性にプロポーズするときの儀式のように、外交辞令や単なる対話では、芳しい結果は得られないものだ。

 そこは単に相異なる見方が対峙する場であるだけでなく、利権がぶつかり合う戦場でもある。それゆえ、歯に衣着せぬ物言いと大胆な行動が、どうしても必要となる。

 メフディー・キャッルービーはイランの政治関係者らの間でも、舌鋒の鋭さと行動の大胆さで定評のある人物だ。それは、オブラートに包んだものの言い方と相手との妥協とで有名なセイエド・モハンマド・ハータミーとは正反対である。

 ハータミーはこれまで妥協することが多く、時に自ら身を引いてしまうようなこともあったが、キャッルービーは第六期国会でのプレス法改正の際の出来事を除いて —— それは最高指導者の命に従った結果だったのだが ——、妥協を選択したことはなかった。
〔訳注:改革派が支配する第六期国会(200-2004)が、前期国会で可決されたプレス法を改正したことに対して、護憲評議会が拒否権を行使し、最終的に国会が泣き寝入りを余儀なくされたことを指す〕

 改革派の人物の逮捕に対するハータミーとキャッルービーの行動を比較すれば、彼らの違いをもっとはっきりと理解することができるだろう。

 有能なテヘラン市長として活躍していたゴラーム・ホセイン・キャルバースチーが投獄されたときにハータミーが取った行動とは、沈黙と傍観、嘆息でしかなかった。キャルバースチーは回想の中で、以下のような趣旨のことを言っている。ある政治関係者に、なぜハータミーは何もしないんだ、なぜ何も言わないんだと呟いたとき、その人物は彼に次のように言ったという。「ハータミーには期待するな。彼にとって、君の問題はそんなに重要じゃないんだよ」。

 専門家が考えるところでは、ハータミー政権の最初期におけるキャルバースチーの投獄は、対立する党派にとってハータミーの決意を図る試金石になったという。つまり、ハータミーはこの問題に対して確固たる反応を示さなかったために、改革派に対する圧力は厳しさを増し、それは今日に至るまで続いているというのだ。そして、ハータミー自身このような圧力から逃れることができているわけではない。

 もし当時大統領が、この事件に対してより決然たる反応を示していたら、もし改革派への最初の圧力を首尾よく跳ね返していたら、今日のような巨大な圧力へと発展していくことはなかったはずなのだ。

 これに対して、メフディー・キャッルービーは第六期国会の改革派議員であったホセイン・ログマーニヤーンが逮捕されたとき、この事件に極めて明確かつ強い反応を示し、国会議長として同議員が釈放されるまで国会には行かないと宣言した。この攻撃が功を奏し、ログマーニヤーンは無事釈放されたのであった。

 彼はハーシェム・アーガージャリーへの死刑判決〔※宗教指導者を盲信することはサルのやることだと大胆発言をして、2002年に冒涜の罪で死刑判決を受けた〕の際にも、ゴナーバードのスーフィーたちに対する活動制限〔※イラン東部の町ゴナーバードを中心に活動する「ネッマトッラーヒー・ゴナーバーディー」というスーフィー教団のことで、近年指導者の拘束など、当局による同教団への圧力が増していると言われている〕、第六期現職国会議員に対する次期国会選挙への立候補資格剥奪の際にも、極めて大胆な行動を取り、大きな成功を収めた —— 例えば、キャッルービーが音頭を取る形で、政治活動家アーガージャリーに対する冒涜罪(!)による死刑判決は破棄され、彼は釈放された。

 しかし残念なことに、行政という側面から言えばもっと強力な立場にいたハータミー、国民の人気・支持の高かったハータミーは、にもかかわらず、このような大胆な行動を取ることはなかった。改革には、このような行動が是非とも必要なのだ。

 セイエド・モハンマド・ハータミーは、彼にのしかかったさまざまなセンシティヴな問題ゆえに —— そしてそれは、彼が有する突出した立場を示すものでもある —— 、メフディー・キャッルービーよりもずっと圧力に弱い。もっと適切に表現するならば、ハータミーはレッテルを貼られてしまいやすい立場にいるのだ —— あるいは、そのような立場に追い込まれたと言った方が良いかもしれない。

 実際、宗教指導者である彼は、〔礼拝や断食などの〕シャリーアが命じる基本的な義務に関してですら、一部の権力主義者たちの中傷にあってしまう。しかしキャッルービーは、レッテルを貼られにくい人物であり、権力主義者たちもハータミーに対してしたように、容易に彼を攻撃することはできない。

 大統領にはその4年の任期中、政権外部からの創られた危機と闘うことではなく、その本来の責務を果たすことが求められる。攻撃や中傷、レッテル貼りの標的とならずにすめばすむほど、自らの目標もよりよく成し遂げることができるのである。

理論の人と行動の人

 ハータミーは学識豊かな思想の人、理論の人だ。これに対してキャッルービーは、行動の人、ロビー活動の人、実践的で厚顔な人だ。改革派の今後 —— それは一党派を超えた重要性をもっている —— にとって、ハータミーのような人物は大統領になるよりも、改革派の精神的リーダーとして、改革主義が進むべき地平を描くこと、改革派の巨視的な方向性を定め、内部の対立を解決し、歴史的重要性を有する同派の思想的拠り所となることの方がふさわしい。行政の問題にかかずらい、理論と思想の空白の中で苦しむよりも、この方がよいのだ。これに対してキャッルービーのような行政能力に長けた人物は、行政の問題に関わるのがよいだろう。

 第九政権を一瞥してみよう。この政権は、アフマディーネジャードのような精力的かつアクティヴな人物が大統領を務めているが、しかし思想的・科学的な後ろ盾として、理論を構築し、相談役となるような人がいないために、問題に突き当たっている。

 第七・第八政権(ハータミー政権)では、問題は正反対であった。つまり、大統領は理論の人であったが、行政能力に長けた人ではなかった。

 今この二つの経験を総合してみれば、ハータミーのような思想の人を活用して、改革派政権の思想的・精神的後ろ盾となし、キャッルービーのような精力的かつ大胆な人物を活用して、行政的な仕事を推進するというイメージを描くことができよう。

 総体的に見て、ハータミー=キャッルービーのペアは先述したように仕事を分担することで、改革派政権の成立に新たな地平を切り開くことができるのではないだろうか。

 このような中、もしハータミー支持者らがキャッルービーに牙をむき、キャッルービー支持者らがハータミー批判を繰り返すようなことになれば、可能性を多く秘めた両者を傷つけ、ライバルが大喜びという事態にもなりかねない。もしそうなれば、戦場での勝利など夢のまた夢だ。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:15568 )