イスラエル軍の攻撃に怯えるガザの子どもたち
2009年01月16日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ イスラエル占領軍による空爆音のために恐怖と不安に囚われたガザの子どもたち

2009年01月16日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP1面

【ガザ:本紙アシュラフ・アルハウル記者】

 主婦や子どもたちは闇に沈むガザに夜が訪れるのを嫌がっている。この20日間激しく続くイスラエルの砲撃音が伝わってくるからだ。これまでに多くのガザ住民の命が奪われ、その大半が市民や子どもであった。ガザの女性たちは少しでも子ども達に安心感を与えようと、女も子どもも区別しないイスラエルの空爆から一番安全な所に子ども達を集めている。
 
 ウンム・フサームさんは家の中央に位置し、四方を壁で囲まれた台所しか、小さな子ども達を居させる場所が見つからなかったと語る。ガザでは夜10時を過ぎて闇が深まると、イスラエル占領軍がガザ空爆を強化するため、自分も夫も不安と恐怖に襲われると話し、20日前の開戦時から、イスラエルは恐ろしい夜間の空襲を意図的に行っていると説明した。今回の攻撃の目的はひたすら市民を狙った殺戮であり、攻撃地点からある程度離れた地区の住民たちにも夜の静寂を通して爆音を聞かせることで、恐怖感を広めようとしているのだ。イスラエルの戦闘機が家々に爆弾を投下する際の激しい振動でガラスが割れないよう、家の窓を開け放しているため、子どもたちはひどい寒さに苦しんでいるとウンム・フサームさんは言う。

 ファーティマ(通称ウンム・マフムード)さんは70歳代の女性で、息子と孫たちと共にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が運営する学校に避難した。ファーティマさんは道中、1948年〔=イスラエルの建国時〕にイスラエルの武装集団に強要された移住のことを思い出したという。あの時、パレスチナの家族は故郷を捨ててヨルダン川西岸地区やガザ地区、アラブ諸国に逃げざるを得なかった。しかしファーティマさんは、たとえ完全に破壊されていたとしても自分の家に戻ると強調し、「テント暮らしになったとしても、家があった場所にぜったい戻る」と語った。ファーティマさんによればイスラエルの爆撃から避難している家族の悩みの種は、寒さと爆音に震えて夜を過ごす子ども達に、どうやって食べ物や服や布団を用意したらよいのかであるという。

また攻撃開始以来、軍用艦がぎっしりと配備されている海岸にほど近い、ガザ市西のある地区に住むジャミールさんは、夜になると子ども達をつれてトイレにいかねばならないと話す。軍用艦から繰り返し発射される砲撃の音に子ども達が怯えるので、これまでのように家の中で自由に動けないのだ。40代男性のジャミールさんによれば、小学生の子ども二人は夜に怯えて目を覚まし、イスラエルの流血の攻撃を恐れて激しく泣き叫ぶ。また子ども達は衛星テレビで子どもや老人、女性たちが占領軍の破壊した家屋の下敷きになっている映像を見て、瓦礫に埋もれた少女を目にした子どもの一人は「お父さん、もうすぐ僕たちも同じ目に遭うの」と尋ねたそうだ。子どもたちは爆音やミサイル音がするたびに、自分達の家が狙われていると思うのだとジャミールさんは説明した。
 
 占領軍は住民が中に残っている家屋を意図的に破壊しており、子どもも女性も男性も含めて一家全員が死亡する例も起きており、ガザ地区のいくつかの家族は集団墓地に葬られた。占領軍によってアブスィー家、バアルーシャ家、サムーニー家、サーリフ家、ライヤーン家ほか、多くの家で家族の大半が失われた。ガザ住民はニュースの時間になると子ども達をテレビから遠ざけ、流血や殺害、破壊のシーンにショックを受けないようにしている。3週目に入っても留まるところを知らないイスラエルの攻撃で、ガザ住民の大半は「強い決意」を持って自分達の運命に向き合う以外に希望はないと考えている。

 アブー・マフムードさんは、ガザでの状況を解決するためにアラブ諸国が公式に行動を起こす希望は最初の日に失ったと明言する。70歳を越えたというこの男性は、「パレスチナ問題が発生してイスラエルが私たちの土地を占領して以来、アラブ諸国は庇護の手を差し伸べることもなく、私たちを自分達の運命に向きあうがままに放置した」と語り、アラブ諸国の公式な、あるいは強い大衆的な決意があったならば、「イスラエルはこのような終わりなき虐殺をしようなどと思わなかっただろう」と強調した。

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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:15586 )