Derya Sazakコラム:フラント・ディンクを追悼する
2009年01月20日付 Milliyet 紙

我々の同僚であるフラント・ディンク氏が裏切り者によって暗殺されてから二年経った。ディンク氏暗殺に関する新しい文書や情報は、多くの人々の良心を傷つけただけでなく、「安全の中で共に生きる」という気持ちがどれほど揺さぶられたかを明らかにしている。「司法」への期待に、「単なる殺人事件の訴訟」以上の意味が込められている。
フラント氏の友人たちは、このため殺人者らへの追究をやめないでいる。
「殺人が計画され、実行され、殺人後に証拠が隠匿され、あるいは破棄されたことに関わった全ての人、そしてこれらと国家組織とのつながりや係わりが司法の場で明らかにならない限り、また行われている裁判がここまで掘り下げて結審されない限り、この殺人は人々の良心をうずかせ続けるだろう。すなわちトルコ共和国の疑いが晴れることはないだろう。我々は裁判を見守り続ける」
「この国では何千もの無実の人が殺されてきた。なぜ一部の新聞記者にこだわるのだろうか?」と批判する人々もいる。もっともだ、トルコで未解決殺人事件の犠牲者の数は17000人である。身の毛もよだつ状況だ。
1970年に「左右衝突」という名のもと、5000人の若者を我々は失った。1990年代には、「クルド問題」に端を発したクルド労働者党(PKK)との衝突で40000人が亡くなった。
政治で解決できなかった問題はすべて、「流血を伴う収支」として現われてくる。この「社会的トラウマ」の結果は、痛みを感じる代わりに、殺人を軽視することとなる。もしこの国に、たった一つの政治的暗殺であれ一定の期日の中で解明し、また殺人者の背後にいる勢力に「厳しく問いただす」伝統があるならば、未解決殺人事件の数はきっと17000までにはならなかっただろう。
ススルルク事件を解決することができていたなら、エルゲネコンに有罪の判決を下すことはなかっただろうに。
フラント・ディンク氏は生きていただろうに。
暗殺から二年後、トラブゾン県警や軍警察組織のまわりに築かれた「防護壁」が崩れてきている。
視察官の報告は、「ディンク氏が殺されること」が、事件の数カ月前にアンカラやイスタンブルに知らされたにもかかわらず、対策がとられなかったことを示している。警察庁情報局ラマザン・オズチュルク氏について「任務怠慢」で調査が開始された。
トラブゾン軍警察司令官のアルバイ・アリ・オズ氏も裁判にかけられることとなった。
エルゲネコン捜査は、「証拠不十分」という理由で、ディンク氏暗殺には行き着かなかった。ディンク氏の遺族の弁護士であるフェトヒエ・チェティン氏は、「エルゲネコン容疑者の一部が、殺人が準備された時期に、フラント氏を標的にし、心理的な圧力をかけようとしていた」ことを明らかし、裁判に打って出ることを望んでいると語っている。
フラント氏の暗殺をエルゲネコンの犯行ではないとみなすことなど今後ありうるだろうか?行政裁判所への襲撃も、最高裁判所の決定で最初の論点とかなり異なり、より現実的なところに落ち着いた。
フラント氏を心の底から追悼する一方で、我々は裁判を見守り続けます。我々は正義を望みます!

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( 翻訳者:白石百合子 )
( 記事ID:15616 )