Haluk Şahin コラム:ダボス会議後の覚書
2009年01月31日付 Radikal 紙

私がもっとも気になっているのは、エルドアン首相が会場を退席した後、イスラエルのシモン・ペレス大統領とワシントン・ポスト紙のコラムニストで司会のデイヴィット・イグナティウス氏の間で交わされた会話だ。討論会の終わりに握手を交わし、カメラに背を向けて互いに何を話していたのだろうか?彼らの表情に浮かんだ笑みを見ると、とても不幸であるとは思えなかった。

これほどとはおそらく予想していなかったにしても、ペレス大統領もイグナティウス氏もエルドアン首相が激怒したことに、さほど驚かなかったと私は思っている。二人ともトルコとエルドアン首相を熟知している。イグナティウス氏のスパイ小説の中でトルコは主要な舞台の中のひとつだ。両者ともこれまでの心理的な動きを重視し、政治での気性という要素を勘定に入れるほどのベテランだ。
この文脈で問われるべきことなのであるが、エルドアン首相の激昂気質は、トルコ外交政策の武器なのだろうか、あるいは弱点なのだろうか?

もし後者、すなわち弱点だとすれば、実は私も後者だと考えているのだが、エルドアン首相の突発的な怒りの管理を専門家に相談することが、トルコの国益になる。というのも、この怒りの激しさはもうすでに国外でも感じられているからだ。
もし首相が近い将来、同様の挑発をして、「私にとってEUは終わった!」と叫んでEUの会議を退席したとしたら…。
ダボス会議が、我が国の首脳退席後も続いたことを思い起こすことに、大きな意義がある。
トルコはもちろん重要な国だが、世界はトルコで成り立っているのではない。

公正発展党の議員たちは、首相の敗北とも認識される可能性のある突然の帰国を勝利として描くことによって(あるプラカードには「ダボスの征服者」と書かれていた)、自分たちにとって有利に振る舞った。しかし、大変なリスクに立ち向かうことにもなった。真夜中過ぎに集結してナショナリスティックなシュプレヒコールを上げる群衆は、ほんの少しの挑発にも反応する。怒りに駆られた群衆は、ダイナマイトよりも危険だ。今、イスタンブルでは、怒る群衆がどれくらい危険になりうるかを描いた映画、「秋の痛み(Autumn Ache)」が、映画館で公開されている。

TRT2テレビが深夜にこの件に関するニュースを報じた際、画面を二分し、一方に継続してガザの血まみれになった女性や子どもの映像を流したことは、ゲッベルズ(訳者注:ドイツのナチ党の宣伝大臣)に由来する典型的なプロパガンダ操作だった。国営のテレビに相応しくない。

怒り激しやすい指導者、彼を称揚するプラカード、真夜中過ぎに集結する怒った群衆、止むことのない憎悪のシュプレヒコール、政党関係者を輸送するために営業時間が延長された公共交通機関、赤子の遺体の映像を流し続ける国営テレビ…。
ダボスからの飛行機は間違いなく、中東に着陸したのだった。

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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:15694 )