トルコで唯一の補聴器製造企業、2000万ユーロの売上
2009年02月03日付 Hurriyet 紙

ビンギョル県ソルハン出身のM.エミン・アーチ氏は、ソルハンで小学校を、ディヤルバクルで高校を寄宿部で学んだ。その後ドイツへ行き哲学と心理学の教育を受けた。ケルンで家庭電気製品の商売を始めたアーチ氏は、チョルルでトルコで唯一の補聴器製造の施設を建てた。シセルテクニック株式会社と関連会社の昨年の取引額は2000万ユーロ(約23億4千万円)に上った。

トルコ人はその気になれば如何なる障害をも乗り越える潜在能力を持っているということが、M.エミン・アーチ氏の企業家としての成功物語によって今一度証明された。小学校をソルハンの寄宿部で、また高校をディヤルバクルの寄宿部で学んだM.エミン・アーチ氏は、再び勉強するために向かったドイツの大学では哲学と心理学を修めた。学業の傍ら商売も始めたM.エミン・アーチ氏は、家電の商売を徐々に拡大していき、トルコにも進出した。トルコでも始めは家電の販売を行っていたアーチ氏が、チョルルでドイツ人の共同出資者とともに設立したトルコで唯一の補聴器製造企業では70名が働いている。最近、ジイラングループからポリウレタンとサーモプラスチックラバーの靴底を製造する施設も購入した。この施設で100名を超える従業員を抱えるアーチ氏は、グループ企業の昨年の取引額は訳2000万ユーロに上ると述べる。

■寄宿学校は非常に学ぶことが多い
シセルテクニック株式会社代表取締役のM.エミン・アーチ氏は次のように話してくれた:「私は1965年にソルハンで生まれました。7歳の時に寄宿学校に通い始めました。ある日父、母、おばが私のところに来たとき、私が洗面台で下着を洗っているところに出くわしました。そんな私を見た母は泣き出してしまいました。高校もディヤルバクルで寄宿学校に通いました。2年生の時に、学校に国民教育省の視察官が来ました。名前はヤシャルでした。彼は私たちとお店に行って掃除用具を買い、一緒に全てのトイレを掃除しました。この出来事は私に人はどれほど理想主義的になりうるかを示しました。高校を卒業後、アンカラにいる彼を尋ねていきました。そこでも彼が古くなって傷んだ書類を補修している場面に出くわしました」。1983年に海外で勉強するためドイツを選んだと述べるM.エミン・アーチ氏は、「ドイツで哲学と心理学を学びました。ケルンで学ぶかたわら、商売も始めました。トルコで最初の会社を1996年に設立しました。2003年に家族のような友人で、聴力技術ドイツAGの設立者であり、補聴器の分野で世界的に有名なウィンフリード・カッツ氏とともにトルコで50パーセントずつの出資で会社を設立することに決めました。この分野におけるすべてのノウハウをトルコに持ち込みました」

■ドイツ人の共同出資者は「彼らはトルコ人か?」と言った
「2005年までお役所仕事に苦しみ、投資を始められませんでした」と語るM.エミン・アーチ氏は、以下のように続ける:「邪魔されたも同然でした。国の社会保障機関は、輸入品を基準に法律を整備したため、国内製品の購入に支障をきたすこととなったのです。現在も完全に乗り越えられたわけではありません。私たちにはっきりと『輸入してください、そしたら購入しましょう』と彼らは述べました。更には、『(輸入しないのならば)おやめになってください。ご自由にどうぞ』と述べたのです。ウィンフリード・カッツ氏は、最後は我慢することができずに去っていきました。去る際にも、私に『エミン、こいつらがトルコ人だというのは確かか』と尋ねました。私たちは工場を2006年に開くことができました。お役所仕事には2008年の10月まで悩まされ続けました」。

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( 翻訳者:白石 百合子 )
( 記事ID:15718 )