Taha Akyolコラム:反ユダヤ主義
2009年02月07日付 Milliyet 紙

自分に問うてみた。私はこれまでの人生で「反ユダヤ主義」という意味での「ユダヤ嫌い」になったことがあっただろうか。人種的な意味でのユダヤ嫌になったことはない。しかし世界中で起こるあらゆる害悪について、ユダヤ人が関与していないか考えるようになった。大学に入ったばかりのころ・・・。

「フランス革命、ロシア革命、二つの世界大戦などは全てユダヤ人の陰謀であった。人文主義思想の動きは、特にユダヤ人の策略であった!革命、改革は彼らが企んだものであった」

歴史をこうした不可解な陰謀の連続として見ることは非常に魅力的で、私の好奇心を刺激した。私はこうした興味をもって古本屋で本を捜し歩いた。そして3冊の本が私に大きな影響を与えることになった。

■3冊の本
1冊目は人種差別主義者でドイツ人のルーデンドルフ将軍の書いた『1932年新世界大戦』という本だ。将軍は1920年代末にこの本を書き、ユダヤ人が1932年に新たな世界大戦を引き起こすと予測したのである!その論拠は以下のようなものだ。ユダヤの神秘主義では「25」や「15」というのが縁起の良い数字とされている。1、9、3、2を全て足すと25となる。とすれば、1932年に第二次世界大戦が起こることになる。1789年(合計すると25)にフランス革命が、1914年(合計すると15)に第一次世界大戦が勃発したように!
2冊目は『シオン議定書』という本である。この本によると産業化や科学、哲学など全てはユダヤ人が創りだしたものである!この2冊の本は、たわごとで私にユダヤ人の危険性を警告し、私の心にあった彼らへの疑いは増した。
しかし故ヒルミ・ズィヤ・ユルケンが1944年に出版した『ユダヤ人問題』という本を読んで、私は目が覚めた。
ユダヤ人は異なった宗教を信仰する会衆として、それぞれの居住地域でゲットーに追いやられ、閉鎖的に暮らしていた。土地の所有や公職に就くことを禁じられたため、商売や「思索」以外にすることがなかったのである。中世の社会においてユダヤ人は奇怪な考えを口にし、金儲けをする不可解な集団として認識されていた。そしてユダヤ人に関する多くの伝説が作られた。「ユダヤ人は毎年キリスト教徒の子供を殺し、その血からパンを作って食べているのだ!」などというような。これらの伝説や疑惑は少なくとも千年の間、人々の骨の髄にまでしみこんでいった。そして人種差別的および「社会進化論的」たわごとが、この稚拙な伝説に「科学」という覆いをかぶせ、「反ユダヤ主義」理論が次々と現れていった…。

■国内のユダヤ人
 私はヒルミ・ズィヤから「方法論」を獲得した。そして我々の歴史をそのメソッドにしたがって見てみた。エクメレッディン・イフサンオールの『オスマン帝国における科学』という本によれば、アンダルシアのイスラーム科学などをこの地に持ち込んだのはユダヤ人であった。彼らはプレヴェザの戦いの間、シナゴーグでオスマン帝国の勝利のために祈ったともある。ローザンヌ会議で少数者集団の問題についてイスメト・パシャが相談したのはユダヤ系のハイム・ナウム・エフェンディであった。「国民誓約」の承認に関連して、ローザンヌ会議で少数者集団に認められた特権を、真っ先に捨てたのもこの地に住むユダヤ人であった。アタテュルクがユダヤ人の同胞を賞賛した言葉もある。ユダヤ系のアヴラム・ガランティ教授は文字改革に反対したが、それはオスマン帝国の文化遺産が忘れられることを危惧してのことであった。そして文字改革に反対したにも関わらず、イノニュは彼を1939年に国会議員にしようとした。
 わが共和国はユダヤ人との間に何一つ問題はなかったのだ。私はヴィタリ・ハッコ(Vakko創業者)がクリエイティブ産業においてトルコのために行った偉大で先駆的な貢献を思う。ジャック・カムヒが芸術分野で、「ジェノサイド」法案阻止のため、トルコ文化を世界に紹介するために行ったその大きな貢献を思う…。

私はイスラエルの軍国主義を非難する。そしていっぽうでユダヤ系トルコ国民を愛し、また尊敬しているのである。

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( 翻訳者:杉田直子 )
( 記事ID:15750 )