Mumtaz’er Turkoneコラム:「小さなトルコ」民族主義
2009年02月20日付 Zaman 紙

セーヴル条約では内陸アナトリア地方に限られた「トルコ国土」が想定されていた。「小さなトルコ」民族主義という表現で、私は、ほぼ同様の結果に至るような狭くて暗い道を頑固に歩もうとしている人々を指し示したい。これは、絶えず敵を創出し、憎悪を吐き散らし、周囲を怒りの目で見回す病的で劣等感に蝕まれた民族主義だ。理性や常識や論理がこの病的な世界に浸透できない。

「全世界がトルコ人であれ」という標語に対して、ただ「どうして火星を外すのか?」としか答えようがない。気に入らない人を「トルコの血統を持たない」といって蔑視する人を、「いいや、ただ地中海貧血症にかかっているだけだ」と揶揄の言葉でしか黙らせられない。民族主義は防衛的なイデオロギーである。唯一、戦争中に役に立つ。感情による抵抗戦線を形成する。この抵抗戦線は平時になると、合理的なものの参入を妨げる越えられない壁になってしまう。

トルコ民族主義は初め、バルカン半島の様々な民族主義から啓示を受けていた。共和制発布までのトルコ主義者の知識人は大きく二つに分かれる。「トルコの血筋に属さない」トルコ主義者とロシアからやってきた知識人である。ナーズム・ヒクメトの曽祖父マフムト・ジェラーレッディン・パシャは前者の一例であり、ユスフ・アクチュラは後者の例である。帝国文化によって培われたこの土地には、トルコ民族主義は外来のものだ。。共和国の国民国家プロジェクトは 仕方のない結末だと言える。このプロジェクトを実現するために総動員された民族主義的な論説の多くは誇張気味であり、虚構であった。エルゲネコン伝説や「狼」神話のように。目的は、オスマン帝国から遠ざかり、とても古くて曖昧な歴史を、5千年前を参照して、新たな国民国家の歴史を構築することであった。古代中国の歴史書にある中央アジア地域に関する曖昧な知識の断片がトルコの刻印を押されて解釈されてきた。

共和制トルコは、特に重視した教育を媒体に、国民国家の定着と補強に役立つとされたこれらの虚構の論説によってあたかも我々の頭脳を去勢したかのようだ。これらの論説に疑念を抱くことなく、いわば宗教のように内面化し、これらの信仰で幸福に暮らす人々にとって目覚めの時がやってきた。なぜなら、これらの取るに足らない論説の上には、ただセーヴル条約が想定した「小さなトルコ」しか構築できないからだ。これは、我々が疑問視し、必ず変えていかなければならない偽造の世界なのだ。

まず、トルコ共和国国境線の内側には、国民国家の総ての努力にもかかわらず、同質の一つの民が生活しているわけではない。全員を「トルコ人」にする、または従属を求めることは、「小さなトルコ」を受け入れることにつながる。「全員に同じ言語を強要すること」は、今やクルド人に対して「自分の言語を使用するために自分の国を造りなさい」という意味にしかならない。「一つの国家、一つの国旗」を生き永らえさせるためには、全員の了承の下で国家の国民を再定義しなければならない。

さらに、5千年前の物語にこだわるよりは、別れてからまだ100年も経たない近隣地域に目を向けなければならない。この地域で暮らすにはそれなりのマナーがある。民族主義の狭い固定観念を突き崩して、発想を大きくしなければならない。そのためには、最大限(種々の母語をもつ人びとを包含した)オスマン人程度にしか、われわれはトルコ人になる権利はないのだ。もっと求めれば、「小さなトルコ」で羊のように幸福に暮らすことになる。

我々は脳裏において大きな変革が必要である。時間が迫っている。今やただ夢想から、ただ習慣から、ただ内実を伴わない信仰から作り出された「小さなトルコ」民族主義を、歴史の奥のホコリのたまった棚にしまい込む、まさにその時なのだ。我々は、この種の民族主義の盲目から、無知から、浅薄さから解放されなければならない。

トルコはその地域において平和と安定を求めている。地域も平和と安定を必要としている。トルコは、互いに牙をむきはじめているクルド及びアラブ民族主義によって流される血を、ただ道徳的指導による保護によってのみ止められる。我々はこの道徳的指導の論説に基づいて、ちょうどオスマン帝国のように世界を見るべきである。

オスマン帝国を強力にしたものはその公正性だった、言い換えれば道徳的優位性だった。我々の地域は、公正性と、公正性を配る秩序正しい安定した力を必要としている。

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( 翻訳者:イナン・オネル )
( 記事ID:15861 )