Mehmet Ali Birand コラム:残念、トルコ航空の成功にかげり
2009年03月06日付 Milliyet 紙

少し前に、私はトルコ航空を誇りに思っていると書いた。何十万人という人が同じ気持ちを抱いていた。この会社はきらきら輝いていた。次々に記録を樹立し、機体は常に増え続け、誰もが収益を落とす中、トルコ航空は収益を上げて一年を終えようとしていた。ケヴィン・コスナーの広告とともにトルコ航空の飛行機に乗る誰もが、確実に自分のことを“スターのように感じる”のを約束していた。

その後、すべてが突然崩れた。トルコ航空墜落の原因についての初期の説明を読めば、事故の原因がったひとつでないことはすぐにおわかり頂けるだろう。いくつもの原因がある。だが、こうした原因の根幹には、あるメンタリティー、教育の問題が横たわっている。ウウル・ジェベジが強調したように、飛行機の高度を示す器具の故障が細心の注意をもって確認されなかったこと、パイロットが必要な対応をせずそれ以前の故障を報告していなかったこと、過去8回のフライトで同じ問題が2回起こっていたにもかかわらず地上整備でこの問題が明らかにならなかったこと、こうしたことはすべて、規律の乱れ、パイロットや整備教育の不足を反映しているのだろうか?

たった1つの事故だけを見て、トルコ航空を底辺に突き落とすつもりはない。だが、この空を用いた輸送業務はただの1つのミスをも許さない運輸形態だ。最も小さなミスでさえ命が代償になるのだ。ならば、会社が自ら欠陥をつきとめ、改善することを期待する権利が私たちにあるのではないだろうか?

“中味は壊れていても体裁は整っている”と言う代わりに、運輸相もトルコ航空総支配人のテメル・コティルトも事故を覆い隠そうとせず、反対にメスを入れる必要がある。

今回の事故は、私たちにもう一つの現実を見せた。
トルコをなぜヨーロッパにする必要があるのかをあらためて投げかけたのだ。

まず、ヨーロッパの一国としてのオランダを見たのだ。
事故が起こるや否や、事故現場を警察に任せ、野次馬を寄せ付けず、亡くなった人たちの名前を家族に告げる前に誰に明かすこともなく、これ以上ないほど細かく調査を行い、具体的なデータなしに話をしないヨーロッパのメンタリティー。

かたや、周囲の噂をもとに話し、しかもたくさん話し、同じような事故が起こった場合でも野次馬が現場に入ることを許し、さらに重要なことには、あることないことあらゆるストーリーをさも真実のように説明するトルコ。

これがヨーロッパの外にあるトルコなのだ。私たちが望むのは、ヨーロッパ人のように考え、ヨーロッパ人のように真面目に働き、必要の場合には正しいデータに基づいて話すトルコだ。

あなたはどちらのトルコが好きですか?

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( 翻訳者:倉本さをり )
( 記事ID:15932 )