吟遊詩人、アーシュク・イフサーニー死去
2009年04月21日付 Hurriyet 紙

世間では「アーシュク・イフサーニー」として知られるディヤルバクル出身の吟遊詩人イフサン・スルルオール氏が、高血圧による脳出血のため、治療を受けていたディジュレ大学脳外科集中治療室で今日4月21日午前に亡くなった。

ディヤルバクル出身の大衆吟遊詩人で、77歳だったイフサン・スルルオール氏は、先週の金曜日に自宅で民間プロダクションによるドキュメンタリー撮影の際、急に体調を崩した。プロダクション関係者と妻によってディジュレ大学医学部脳外科に運ばれたアーシュク・イフサーニー氏は、非常な興奮状態による血圧上昇の結果、脳出血が起きたと判明した。集中治療室で治療を受けたが、アーシュク・イフサーニー氏は今朝亡くなった。同氏は今日、親族とファンたちによりディヤルバクルの墓地に埋葬された。

アーシュク・イフサーニーとは誰か?

68年世代の「攻撃的な吟遊詩人」と呼ばれたアーシュク・イフサーニー氏は、トルコ共産党とトルコ労働者党の1970年代の全ての活動に参加し、サズと歌で群集を鼓舞した。1980年9月12日に起きた軍事作戦(クーデター)後に国外に逃亡し、長い間フランスで過ごした。同氏は1995年に生まれ故郷のディヤルバクルに戻った。ディヤルバクルのローカルTVにも時々出演し、サズと自ら作曲した民謡を披露した。同氏は1932年にディヤルバクルで生まれた。幼少時代に作曲・作詞を始め、すぐにバーラマという弦楽器を習得し、瞬く間にアーシュク(吟遊詩人)と呼ばれるようになり、左派の心を虜にした。吟遊詩人としての活動の傍ら、トルコの様々な地域で様々な仕事を経験した。1957年にウシャク砂糖工場で働いている際には、後に「ギュルシャー」と呼び妻となるセヴィム婦人と出会い、結婚した。アナトリア各地を回ったアーシュク・イフサーニーは、初めて1958年にラジオで民謡を歌い始めた。1963年まで伝統的な民謡を演奏していたが、その後政治的な内容の民謡の演奏に力を入れた。

獄中で過ごしたことも…

1970年代に拘留され一時期刑務所で過ごした後、トルコ国内外で数え切れないほどのコンサートを行なった。フランス大統領やイギリス女王を始めとし、世界各国の指導者から招待され歓待された。様々な民話を集めたアーシュク・イフサーニー氏には、Kerem ile Aslı, Aşık İhsani ve Güllüşahのような謡がつけられたたくさんの物語がある。同氏の詩を集めた二巻からなるAğalı Dünya, 及び Yazacağım, Bakalım Hele, Bak Tarlanın Taşına Vur Ağanın Başınaという詩集がある。また、Dünden Bugüne Aşık İhsani, Düş Değil Buそして全ての詩を集めたBıçak Kemikteという本が刊行された。さらにOzan Dolu Anadoluという選集や旅行記Beyaz Köleという著作がある。

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( 翻訳者:牧史織 )
( 記事ID:16262 )