31年ぶり、タクスィム広場でのメーデー祝賀―裏通りでは過激派と警官隊衝突
2009年05月01日付 Hurriyet 紙


37人もの人が死亡した「1977年5月1日」から31年、今回のタクスィム広場での祝賀は、「適切な数」<注>の労働者が参加し、無事に終わった。警官が手際よく、過激派をタクスィム広場に行進する労働者から引き離すと、ここでの祝賀行事は花と踊り、スローガンとともに、望ましい形で終了した。しかし、タクスィム広場につながる他の場所は、またも戦場と化した。ここでは、デモ隊と警察の間で石、棍棒、催涙ガス、そして色のついた水が飛び交う「小さな戦争」が繰り広げられた。

<訳者注:イスタンブル県当局は、デモ参加者を「適切な数(makul sayı)」とするよう、事前に参加団体に求め、その条件でタクスィム広場での祝賀行事を許可する、としていた。このため、「適当数」とは何かをめぐって、数日来、議論が交わされていた。>

1977年の37人の死の後、1978年が最後となったタクスィム広場でのメーデー祝賀は、その31年後に「適切な数」のデモ行進参加者により、昨日、再びタクスィムで3回、順に行われた。まずTürk-İş(トルコ労働組合連盟)、それからHak-İş(トルコ真の労働組合連盟)、最後に凡そ5千人の規模でDİSK(革命的労働者組合連合)、KESK(公務員退職者組合連合)、共和人民党(CHP)、そしていくつかの市民団体が旗を掲げ、スローガンを叫びながら、タクスィムに集合した。喜びに満ちたデモ行進参加者が、ゆっくりした足取りでタクスィム広場のアタテュルク像に近づくとき、そこには、喜びと歓喜、そして涙があった。

■タクスィムに向かうグループには国会議員が加わった

最初に、Türk-İşのギュムシュスユ通りにある支部の前に集まった500人のグループが、手に紅白のカーネーションを持って行進を始めた。グループの人々は、「タクスィムへの権利をいつの日か、我々は手にする」、「メーデーの殉死者は永遠だ」とスローガンを叫んだ。グループには、タクスィム広場への入り口あたりで公正発展党(AKP)の国会議員であるブルハン・クズ、フェイズッラー・クユクルク、そしてアーガフ・カフカスの各氏と自由と団結党(ÖDP)の国会議員ウフク・ウラス氏も加わった。グループは、(37人死亡の現場である)カザンジュ坂の上まで行進した。(そのころ)Hak-İşに加わる労働組合の指導者と組合員も、ベシクタシュ・イノニュ・スタジアムの前に集合した。労働者らは、太鼓とズルナの伴奏に合わせて踊りながら、行進を始めた。Hak-İşの組合員らは、カザンジュ坂にカーネーションを置いた。

■「適当数」以上にはガス、棍棒、圧力放水

タクスィム広場に入る最後の集団であるDİSKに加わる労働者らは、午前九時にシシュリにあるDİSKの建物の前に集合した。9時30分にハラスカルガーズィ通りに出た凡そ千人のグループは、機動隊隊員らに囲まれていた。この行進への合流を阻止しようとした警官隊と、裏通りで待機していたグループとの間に衝突が起きた。行進がハラスカルガーズィ通りを進むにつれ、すべての通りで衝突が起きた。警官隊は、行進に参加しようとした幾つかの過激派グループに催涙爆弾、催涙ガス、圧力放水で対抗した。ガスマスクを着装した一部の活動家らは、警官隊に石と火炎瓶を投げつけた。投石用パチンコを使うチームを結成したいくつかのグループは、警官隊に木切れや石つぶてを浴びせた。一部の活動家グループは、銀行のガラスやATMを破壊し、マーケットや電話ボックスを焼いた。クルトゥルシュ、フェリキョイ、ドラプデレ、パンガルトゥ、シシュリ、メジディエキョイ、タルラバシュ、そしてジハンギルで投げられた無数の催涙ガス爆弾により、これらの地域では息をするのも苦しい有様となった。手に棍棒を持った50人の民族派(ülkücü)のグループは、クルド労働者党(PKK)に反対するスローガンを叫んだ。警官隊がデモ隊に放った催涙ガスのひとつは、ドラプデレのある建物の地下にあるモスクに落ちた。礼拝を邪魔された人々のうち何人かが、活動家グループを棍棒で襲った。スラセルヴィレルでは、ある建築物の4階にいる人々が、警官隊に石を投げる活動家グループに煉瓦を投げつけた。一連の事件で、21人の警官が負傷し、103人の活動家が逮捕された。

■「これぞタクスィム、これぞメーデー」

こうした状況下で、(最後の行進のグループが、タクスィム広場の入り口にあたる)パンガルトゥへ来たとき、グループの数はKESK、CHP、トルコ技術建築会議所(TMMOB)、その他の政党の代議士らの参加で3千人に達していた。警官隊が、裏通りから行列に加わろうとしたものを再び妨害すると、主流グループでも分裂が起こった。DİSKが調停役を務め、「裏通りにいるものも行列に加えよ。我々はイスタンブル知事を求める。労働者の憲法に定められた権利を妨害するな」との発表がなされた。警官は、バリケードを緩めて、何人かの運動家がグループに加わるのを許可したが、大多数は催涙ガスで散らせた。行進のグループには、DİSKのスレイマン・チェレビ会長とともに、KESKのサミ・エヴレン会長、トルコ医師連合中央委員会のゲンチャイ・ギュルソイ会長、CHP国会議員のビルフン・タマイルギル氏、メフメト・セヴィゲン氏、民主市民党のアフメト・チュルク党首、同党国会議員のアイセル・トゥールク氏、スッル・サクク氏、セバハト・トゥンジェル氏、ÖDP国会議員のウフク・ウラス氏の姿もあった。

「タクスィムはメーデーの広場である」というスローガンで行進したグループは、12時20分に広場に到着した。アタテュルク像の前に立った人々は、「これぞタクスィム、これぞメーデー」とスローガンを叫んだ。DİSKのスレイマン・チェレビ会長は、広場に到達した全員が自らを誇りに思うべきだと述べ、「人数の問題ではない、参加者が適切でなくてはならないのだ」と言った。この間、カザンジュ坂から広場に出ようと警官と押し問答をしていたグループも、タクスィム広場に入った。凡そ5万の人々は、踊りを踊った後、解散した。集団が解散するとき、「我々は、来たときのように、雄雄しく解散する」とアナウンスが流れた。2人の警官がタクスィム共和国記念像の前で、「5月1日労働者の祭典、おめでとう」と書かれたラベル付きのカーネーションを、労働者に渡した。

■ギュレル知事「女性29人を含む、108人が逮捕された」

イスタンブル県知事のムアッメル・ギュレルは、イスタンブル県警のジェラーレッティン・ジェラッフ本部長と行った記者会見で、5月1日「労働と団結の日」のために起こった諸事件で、29人の女性を含む、計108人が逮捕されたこと、21人の警官が負傷したことを発表した。警察で行われた記者会見では、衝突で押収された証拠物件も展示された。公開された証拠物件の間で、最も興味深いものはレモンだった。ギュレル知事は、デモ隊が、レモンを催涙ガスの影響を弱めるために使ったと述べた。レモンのほかには、モロトフ火炎瓶、石、投石用パチンコ、投石用の石なども公開された。ムアッメル・ギュレル氏は、メーデーのために、イスタンブル全体で2万5千人の警官が職務に就いたことを述べ、全ての人員に感謝した。

■メーデー覚書

・タクスィム広場は午前3時以降、車両通行止めとされた。歩行者はボディチェックと身分証明書の提示後、入ることができた。装甲部隊と大量の警官が配備された。
・イスタンブル警察に危機センターが設置された。(混乱の)リスクのある地域は、情報セキュリティシステム(MOBESE)と巡回警備車から得られたカメラ映像で監視下に置かれた。
・いくつかの軍の連隊も、ハルビイェ軍事博物館・文化サイトの中で待機した。
・すべての通りは高いバリケードで閉鎖された。各バリケードの傍には、30人近い重装備の警官(robokop polis)が待機した。
・クルトゥルシュでの衝突が長引くと、警官隊は無線で絶えず警備物資の補強を要求した。
・カラスカルガーズィ通りでは、食堂、酒類販売店と惣菜食品店(シャルクテリ)を除き、すべての店が、完全に閉店だった。
・メジディエキョイでは、警官と争っていた一部の活動家たちがメトロバス(専用車線バス)の停車場で、利用者を装って待機し始めた。彼らは警官が来たのを見ると、メトロバスに乗って逃げた。
・たくさんの市民が、催涙ガスをもろともせず、写真機やカメラで、窓やバルコニーから事件を撮影していた。
・警察はタクスィム広場とシシュリをヘリコプターで、空から絶えずコントロールしていた。
・リュックサックに詰めてきた石がなくなった活動家たちは、歩道の石をはがして警官に投げつけた。
・催涙ガスの影響を受けた活動家のうち、マスクのないものは、顔にレモンを塗りながら防衛しようとした。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:林奈緒子 )
( 記事ID:16338 )