マルディン襲撃事件の導線―襲撃犯の供述から
2009年05月06日付 Radikal 紙


マルディンのマズダー県ビルゲ村でアブデュルカーディル・チェレビとその4人の息子、3人の親族が「自警兵」の武器を使って虐殺事件を起こしたが、その背景に、女性をめぐる問題と帰村プロジクトの後明るみに出た土地争いのいざこざがあることが明らかになった。

村民が移住したため、村に自警兵のみが残ることとなり、去った者の土地は自警兵の家族の間で分割されていた。しかしアブデュルカーディル・チェレビは自分たちに与えられた土地が少なく、理不尽な目にあったとして、村へ再び戻ってこようとする家族に反発を示した。一方元村長のハミト・チェレビと新しい村長のジェミル・チェレビは、親戚が村へ戻ることに賛成していた。犯人とされるチェレビは最初の尋問で、真実は暴行事件にあるとした。アブデュルカーディル・チェレビはこの件に関し次のように述べた。

■暴行の見返りに女性を

元村長のハミト・チェレビと新しい村長のジェミル・チェレビの一族の1人が、私たちの一族のある女性を暴行した。このため私たちも彼らの一族の女性(殺害されたセヴギ・チェレビ)を私たちの一族へ花嫁としてよこすよう要求した。しかしこの女性を私たちに与えず、私たちの敵である一族へ与えた。

■これはこうやって続いていくのだ

私は以前、婚約式が行われた家へ行って、これ(婚約)を破棄するよう望んだ。破棄されない場合、ただならぬ結果を招くことになると言った。しかし彼らは受け入れなかった。私たちが何人殺したのかは知らない」

「子どもや女性を全員殺した理由は何だ」という質問にはというと、虐殺の犯人のうち1人は次のように答えた。「もし私たちが子どもを全員殺さなかったなら、血の復讐が行われ、この先私たちのうちのだれかを殺していただろう。彼らの家族を根絶やしにし、私たちに復讐する者を1人も残さないため、全員殺すことを決意した。村の外にいる者も生かしておかず、根絶やしにするつもりだった。生き残ったものがいるなら、彼らも私たちの家族に復讐しようとする。これはこうやって続いていくのだ」

■「帰村プロジェクト」の後に土地争いのいざこざ

マルディンのマズダー県ビルゲ村で44人が殺された血の襲撃に、新しい事実が明らかとなった。虐殺には、披露宴、花嫁、結婚といったような因習的要素よりも、「帰村プロジェクト」により20年ぶりに村へ戻ってきた大地主の土地が、村の自警兵たちによって使われていたことが背景としてあると述べた。

関係者は、「今から約20年前、テロが原因で村を離れることを余儀なくされた、かつての大土地所有者の家族は、「帰村プロジェクト」の枠組みでここへ戻ってきた。しかしこの間に村では地籍測量が行われ、村で(かつて)広大な土地を所有していた家族は戻ってきたものの土地を得られなかった。20年の間、村で自警兵をしていたチェレビ一家が(主のいなくなっていた)土地を使い、地籍測量によりこの土地を自分のものとした。実は問題は村での地籍測量と土地利用に起因していた。しかし結婚式で全員が集まるということが犯人側にとってチャンスとなった。そうでなければ、村をどうやって根絶やしにできようか。村で血縁者が残らないようにと。そして村に血縁者が残らないように、その家族に対し虐殺を実行した。皆が集まる結婚式があったというこの点こそがこの事件をこの日に起こした要因なのだ」と述べた。

また関係者は、「帰村プロジェクト」の枠組みで、村から離れ再び村へ戻ってきた者たちが以前の財産を所有できなかったと述べた。関係者はこの問題が、この地域での新たな衝突の原因となったと述べ、村の元々の所有者がいなくなり、自警兵がこの村人の土地を始めとする財産を所有した。元の所有者が戻ってきたとき、財産(土地がとても重要)を手にできなかった者たちが、このような結果を生みだす原因となったのだ」と話した。関係者は、「帰村プロジェクト」がこの社会的特質を考えずに実行に移されたことを明らかにし、「この件に関し、この先このような痛ましい事件が起こらないように、真剣に対策を講じることが必要だ」と述べた。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:16378 )