マルディン事件の容疑者家族、村を去る
2009年05月08日付 Radikal 紙


ビルゲ村で、12の家族が、命が危険に晒されているという理由から、身の回りのものをまとめ、移動を始めた。家族らは、リーダー格のアフメト・チェレビさんが拘留されると、村の外で待ち始めた。アフメト・チェレビさんは、「西に行くだろうが、どこに行くかは私も分からない」と述べた。

44人が殺害されたビルゲ村の哀悼の雰囲気に命の危険も加わって、「大脱出」が始まった。「被害者」と「加害者」が隣り合っている家に住んでいる32世帯の、人口300人の村で容疑者たちの家族らが身の回りのものをトラックに積んで移動を始めた。しかし、12の家族は、一族の長である3人の男性のうち、最年長のアフメト・チェレビさんが、再び拘留されると、村の外で夜を過ごし始めた。

■ 「(家族を率いる者として)120人のことを考える」

先週の月曜日(4日)婚礼の夜が血に染まった、マルディンのマズダウ郡にあるビルゲ村で昨日(7日)、一部の家から哀歌(の声)が高まると、一部の家では、不安の中で引っ越しの準備がなされた。容疑者の近親である13の家族は、家畜を売り、村から離れ始めた。この間、事件の後から24時間、容疑者らの家を警備した軍警察部隊は、付近に誰も近づけさせなかった。家族が引っ越す住所は、秘密とされた。

43歳のアフメト・チェレビさんは、10人の親類が逮捕され、彼自身も拘留され、解放されて引っ越しの指揮をとっている。彼は、昨日(7日)の夕方、再び拘留された。チェレビさんは、拘留される前に、襲撃にあった家族から脅されたと説明し、「昨日マズダウ郡で尾行されました。自分の命については恐れていません。(一族)120人のことを考えます。3人の(リーダーの)男が残りました」と述べた。

アフメト・チェレビさんは、出発する前に、マルディン知事とマズダウ郡長にだけ、向かう場所を知らせるだろうと述べた。「車に乗って、軽油がつきる場所まで行くつもりです。西に行くつもりだが、どこに行くかは私でさえはっきりと分かりません。この子供たちの命の安全を保障することは簡単ではありません、土地、家財、家畜を売りました。このような殺人を犯す意思があったら、準備をしていなかったでしょうか?逮捕されたメフメト・チェレビさんの家族は一昨日村から出てクズルテペで親戚の許に身を寄せました。しかし、連中が身を寄せた家族を脅したそうです。(そのため)身寄り先である親戚でさえもメフメト・チェレビさんの家族が出ていくことを望んだのです。彼らは村へ戻ってきました。これから一緒に出るつもりです」。

■ 「ことの次第には、他のこともある」

目下、逮捕されている親類が、事件を起こしたとは信じないという主張を繰り返すチェレビさんは、「実の叔父は亡くなりました。もし、私たちの親類がこの犯罪を起こしたということを証明するなら、私も今、責任をとって家族を殺すと誓います」と述べた。チェレビさんは、事件当日、兵士と一緒に病院にいたことを証明したために釈放されたことを明らかにし、興味深い主張をした。「私を拘留し、隣にいた兵士が、『アフメトさんは私の側にいました』と言ったら、釈放された。しかし、捜査担当の下士官は、側にいた兵士に、私の目の前で、この供述を覆すようプレッシャーを与えました。ことの次第には、他のこともありました。しかし、彼らは、『話したらおまえを助けない』と言いました。だから話しません」。

チェレビさんはこの説明をした後、移動し始めた間に再び拘留された。容疑者の家族が家宅捜査され、5つの手榴弾と100に近いカラシュニコフの銃弾が見つかったということで、チェレビさんが拘留されたことがわかった。このため、12の家族は、トラックとともに村の外で待ち始めた。逮捕された人々は、裁判所でも証言を拒んだことがわかつた。

■ 2つの間に挟まれたアスマンさんは、息子を残した…

「必要な脱出」の準備を続ける一方、アスマン・チェレビさんは、胸に抱く1歳の赤ん坊をどうするかを考えていた。武器を用いた襲撃の後、逮捕された夫の家族とともに村から出るべきなのか、それとも惨殺の生け贄側である自分の家族とこの村にとどまるべきなのかと。

44人が殺された惨殺の後、容疑者らの家族は、身の回りのものをまとめ漠然とした将来に向け旅立った。しかし、この脱出は、「殺した」側の嫁であり、「殺された」側の娘でもあるアスマンのように、2つの間に挟まれた人びとのドラマも明らかにした。
「息子のカーディルに何かあれば…」

容疑者のうちのラマザン・チェレビさんの妻で、そして同時に、襲撃に遭い何十人もの人を失った家族の娘でもあるアスマン・チェレビさんは、完全に行き詰まってしまった。アダレト・チェレビさんは、お姉さんの状態を次のように述べた。「小さな息子がいて、名前はカーディルです。カーディルは彼らの子供です。父は『幼いカーディルと来てはいけない』と言います。カーディルに何かあれば、私たちが何かしたと思うだろうといいます。姉も息子を置いて行きたくありません。望んではいなくても、おそらく、婚家の家族と一緒に行くことになるでしょう…」。

しかし、アスマン・チェレビさんは、父の家に戻ることを選び、息子のカーディルを「反対側」に残した。

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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:16398 )