救急車のドアが開かず患者死亡
2009年05月22日付 Radikal 紙

リゼ-ギュネイス郡で、脳出血を患っていたメフメト・デミルジュさん(55)をリゼ教育研究病院に運んだ救急車の後部ドアが故障していた。サイドドアからも救急車の外に出すことができず、患者は15分間、救急車で行われた処置にもかかわらず命を落とした。

今日(22日)の昼頃、ギュネイス郡近郊のイェニキョイで暮らすメフメト・デミルジュさん(55)は自宅で具合が悪くなった。その時、ギュネイス112救急サービスは村で他の患者の処置をしていたのだが、呼吸困難を訴えたデミルジュさんを救急車でリゼ教育研究病院に搬送した。

しかし、メフメト・デミルジュさんを運んだ救急車の後部ドアが病院で開かなくなった。デミルジュさんをサイドドアから担架にのせたままでは搬出することができなかったため、医師らは救急車内で処置をとらねばならなかった。救急車の後部ドアは他の救急車のレバーを使って約15分後に開けることができた。メフメト・デミルジュさんは病院の救急に搬送されたが、すぐに亡くなった。

メフメト・デミルジュさんの息子レジェプ・デミルジュさんは父親が救急車で死んだと言われたと述べ、次のように語った。「サイドドアから外に出そうとしましたが、担架に乗せたままではできませんでした。救急サービスの医師らは救急車内で処置しました。15分間後、父の心臓は弱まり、救急サービスに搬送されました。ここで10分処置しましたが父は亡くなりました。医師らに「父は救急車で死んだのですか、それとも病院で死んだのですか?」と尋ねたところ「救急車で亡くなりました」といわれました。医療関係者らは、救急車でも病院でも可能な限り処置してくれましたが、救急車のドアが開かなかったなんて、許せません」

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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:16514 )