ビトゥリスで43年間続いた2部族間の「血の復讐」に、終止符
2009年06月04日付 Zaman 紙

ビトゥリス県タトヴァン郡とムシュ県ブラヌック郡で43年に渡って繰り広げられていた2部族間の「血の復讐」に終止符が打たれた。

タトヴァン郡在住のアルテック家とブラヌック郡在住のヤシン家の和解により、タトヴァンの催し会場で和解の式が催された。

催しには、ビトゥリス県のヌレッティン・ユルマズ県知事、タトヴァン郡のオルハン・シェフィク・ギュルディビ郡長、タトヴァン郡のイルケル・イェルデン警察本部長、ギュロイマック在住のヌレッティン・ムトゥル氏とブラヌック家の家長ら、たくさんの人が参加した。

タトヴァン郡催し会場にある茶店で行われたこの儀式でビトゥリス県のヌレッティン・ユルマズ県知事がスピーチをし、「ビトゥリス県の人々はここで平和の中で暮らしている。我々はのどかで平和な県に住んでいるのだ。人々がお互いに謝ること、お互いを許し、お互いが友情と平和の中に暮らすということは素晴らしいことである 。おめでとう」と述べた。

タトヴァン郡の宗務担当者、サフベトゥラー・クズルシャフ氏は、「私たちが生きている世界は終わりのある世界である。しかし身の上でのよいことも悪いことも、麗しいこと醜いことも弁済する世界である。責任のある生である、なぜならこの社会では、我々が歩んだ一歩一歩の、そして我々がついた一呼吸一呼吸の(中身の)清算をおこなうであろう永遠の生の存在を信じているからだ。そうであれば、我々は自分の人生を永遠なるかの世界に合わせて生きるべきだ。天国の鍵は互いに愛する信徒や信仰者が、お互いに愛することで渡る」と話した。

アルテック家の代表としてスピーチをしたヒクメト・アルテック氏は、43年前に家畜の売買が原因で村部族のヤシン家との間に「血の争い」が生じたことを明かし、「1966年に家畜の売買のために私の父が殺された。その日以来、ヤシン家との間には「血の争い」が続いた。タトヴァン郡の要人とムシュ県の憲兵部隊司令官の取りなしの結果、争いも平和的終結に至った。とても嬉しく思っている」と話した。

ヤシン家を代表してマフムト・ウシュクギョル氏が非常に喜ばしい日が迎えられたと述べ、「この争いが始まった時、我々はまだ子供であった。43年間に渡る出来事である。間に力のある人たちが入ることでやっと終止符が打たれた。私も私の一族も、訪れたこの平和に大きな喜びを感じている。アルテック家の皆さんとは、もはや兄弟である。この争いが「血の争い」を行っている他の部族への模範例となることを望みます」と話した。

コーラン詠唱の後に両族ともコーランの下をかいくぐった。両族が抱き合って、催しは終了した。

(注)
コーランの下をかいくぐっている様子は、以下の記事の写真を参照。
http://www.nethabercilik.com/haber/musta-baslayan-kan-davasi-bitliste-son-buldu.htm

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( 翻訳者:永井ひとみ )
( 記事ID:16613 )