石油がでて不幸になった人々―ディヤルバクルの油田で健康被害
2009年08月12日付 Zaman 紙

「黒い金」と呼ばれ採掘される地には総じて富をもたらす石油が、ディヤルバクルのアルジュック村で生活する人々にとっては悪夢となった。

 アルジュック村の住民は、畑から石油が噴き出し始めた当初は幸せであった。28か所で油井が開かれ、村人は事業主となった。しかし素晴しい日々は長く続かなかった。原油を採掘する企業が、油井から上昇してきた有毒ガスを「費用負担」を理由に燃やさなかった結果、村で生活する人々の健康が損なわれ始めた。50世帯からなる村で10人が肺がんで命を失い、5人が同病で治療を受けることとなった。パイプから漏れた原油は、土壌を使用不能なものにした。ハサン・セズギン村長は、彼らが経験した石油による悪夢を次のようにまとめている。「家でもこの臭いのせいで、落ち着くことができない。完全に有害なこのガスを我々は毎日吸いこんでいる。」

 村々で石油の探索、採掘作業を行うTPAO社とペレンコ社が、油井と採集場間の石油輸送を支えるパイプを畑に敷設したと述べるハサン・セズギン村長は、このため彼らが大きな被害を被ったという。セズギン村長は、パイプから漏れた原油が原因で畑では何も栽培することができないと強調する。同村長は、村人のほぼ全員が、これらの企業を何らかの形で告発しているとのべ、しかし「残念ながら今にいたるまでなんら対応はなかった。我々の被害に対策が施されることを望んでいる。企業側に請願書をだすにあたり、相談に乗ってくれる人すらいない」と話す。

 アルジュック村の石油開発は1960年に石油会社シェル社が初めて行った。シェル社の石油部門が1995年にペレンコ社に売却されトルコから撤退するとともに、アルジュック村の苦悩も始まった。農家のレジェプ・オール氏は、ペレンコ社が、畑を通過し今では機能していない石油パイプをそのまま残したと話す。新たに敷設された石油パイプからも、すぐにあらゆる場所で石油の漏れがあったと述べるオール氏は、畑に敷かれたパイプが、農業を行う農機具にも大きな損害を与えたと強調する。同氏は、「パイプを畑から除去してほしい。パイプは少なくとも地下2メートル以下に敷設される必要があるが、企業は『簡略に行おう』と地表に敷設している。僅かな労苦を惜しんだため、畑で再び作物が栽培できない」と話す。

 農家のメフメト・マズィ氏も、染み出た石油が原因で村人らが家畜を他地域に移し放牧を行っているという。アルジュック村内の土地で破裂したパイプと畑へ染み出た原油が原因で家畜が毒に侵される可能性があると述べるマズィ氏は、次のように話す。「石油のにおいのため、我々は村に住むことができない。漏れだす石油、そしてパイプが原因で農業をすることができない。毒に侵されるといって家畜を放牧することができない。責任者は村を訪れ状況を確認するべきだ。」

 アルジュック村住民がディヤルバクル共和国検察局に告発を行った後、ディヤルバクル県健康局食料環境管理支局の職員が村での調査を行ったようだ。アルジュック村住民は、職員が調査を行った際に、石油採掘企業が有毒ガス弁を閉じたという。

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( 翻訳者:岩根匡宏 )
( 記事ID:17174 )