ムーサヴィー、市民らの抗議に遭う:「世界エルサレムの日」の大規模デモ行進で
2009年09月19日付 Iran 紙
2009年9月19日付イラン紙1面に掲載されていた写真を転載
2009年9月19日付イラン紙1面に掲載されていた写真を転載

〔金曜礼拝が行われる〕正午の数時間前から、大勢のテヘラン市民が各地からテヘラン大学に向けて移動を始めた。革命広場周辺の各通りは、さながら〔テヘラン大学を河口とする〕大河のごとき様相を呈した。この大河は国際的シオニズムの冷酷非情ぶりに対して荒れ狂い、パレスチナ国民の権利要求運動をイラン人は今後も支持し続けることを表明するかのようであった。

 昨日行われたこの盛大なるデモ行進には、下は母親の胸に抱かれた生後2ヶ月の幼児から、上は90歳の老人まで、老若男女が参加した。

 アフマディーネジャード博士は午前11時20分、デモ行進に合流した。市民らは口々に、「ハーメネイー万歳、アフマディー永遠なれ」「アフマディー、アフマディー、われわれはお前を支持するぞ」などとシュプレヒコールをあげ、大統領を歓迎した。

 一方、ミール・ホセイン・ムーサヴィーは革命通りをヴァリーアスル交差点に向けて移動しようとしていたところ、エルサレムの日に集結していたテヘラン市民・行進参加者らにその行く手を阻まれた。行進参加者らは、ムーサヴィーを載せた車を見るや、シュプレヒコールをあげて、先の選挙後の混乱で彼が取った行動に対する抗議の意志を示し、人でごった返したデモ行進の列にムーサヴィーが合流することを阻んだ。

 またモハンマド・ハータミーも、テヘラン大学周辺で車から降り、デモ行進に合流しようとしたところ、シュプレヒコールを上げて行進に参加していた人々の怒りに遭遇した。

 さらにキャッルービーも、キャリーム・ハーン・ザンド通り沿いにあるエッテマーデ・メッリー紙所有のビル周辺からデモ行進に合流しようとしたが、ハータミーやムーサヴィーが直面したのと同じ種類のシュプレヒコールを市民から浴びた。市民の抗議のために、キャッルービーはその場から立ち去らざるを得なくなった。

 ハータミー、キャッルービー、そしてムーサヴィーの三人に対して市民が直接かつ即座に示した抗議は、自らの属する党派の政治的要求を推し進めるために、エルサレムの日を道具のように利用しようという意志を、最近になって彼らが表明していたことへの市民の回答だったといえよう。彼らはこうした抗議に直面して、その場から去らざるを得なくなったのである。

 他方で、一部のムーサヴィー支持者たちは、緑色の布で顔を覆い、興奮した様子でホイッスルを吹き、騒ぎ立てながら、革命通りを行進しようとし、ときに行進参加者や治安維持軍と小競り合いを起こした。最終的に、行進に参加していた荒れ狂う市民の波は、ムーサヴィー支持者らを取り囲み、シュプレヒコールをあげながら、〔‥‥〕彼らを行進の列から排除した。

 ムーサヴィー支持者らは行進の最中、扇動的なスローガンを叫びながら、旗の竿の部分を使って、市民らと小競り合いを起こし、行進を乱そうと企てていた。しかしながら、聡明なる市民の見識のお陰で、これといった衝突が起こることもなく、彼らは行進の列から排除され、最後には解散させられた。

〔後略〕



なお、別の報道によると、ムーサヴィーやキャッルービー支持者らはテヘランやエスファハーン、シーラーズ、タブリーズ、マシュハド、アフヴァーズなど主要都市で数万人規模の反大統領デモを行い、シーラーズでは「中国に死を」や「ロシアに死を」、またエスファハーンでは「私の命はガザのためでも、レバノンのためでもなく、イランのためにある」といったシュプレヒコールが聞かれたという。官製デモである「世界エルサレムの日」で、公式のデモ行進とは別のデモが行われたり、公式のスローガンとは対立するようなスローガンが叫ばれたりすることは異例。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:17490 )