トルコ・アルメニア合意文書、難産の末、調印
2009年10月10日付 Milliyet 紙


数か月間に亘る交渉を経て、スイスのチューリッヒでトルコのアフメト・ダヴトオール外相とアルメニアのエドワルド・ナルバンジャン外相が、二国間の関係改善と国交樹立を謳った2つの合意文書に調印した。土壇場で、アルメニア側が懸念を表明し調印式(開催)を危機に陥れたものの、アメリカとスイスの仲介によって危機は回避された。

今日まで、(トルコとアルメニア)二国間の関係は、1915年の事件(アルメニア人「虐殺」問題)の影を引きずり、克服できずにいたが、トルコとアルメニアは、この事件のつくりだした不毛な悪循環を断ち切る方向で、歴史的な第一歩を踏み出した。

■「前提条件なし」をめぐる対立

調印がなされるかどうかという危機的な状況を招いたのは、トルコのダヴトオール外相が調印式の後に行う予定にしていた声明文案に対する、アルメニア外相エドゥアルド・ナルバンジャンの抗議だった。トルコ側は、声明に包括的な内容をもりこみ、ナゴルノ・カラバフ問題に直接言及しないものの地域の安定を強調していたが、その際、トルコが使った表現の一部に対し、ナルバンジャン外相が不快感を示した。ナルバンジャン外相は、合意文書とナゴルノ・カラバフ問題が関連しているという理解につながる表現を声明文に載せないよう要求した。アルメニアは、「この合意文書とナゴルノ・カラバフ問題は関係ない。関連はあってはならない。このプロセスは、(他の問題によって)条件づけらることなく進められる。」とのメッセージを表明した。アルメニアのこのメッセージが、ナルバンジャン外相の行う予定の声明文にも反映し、そこでは「前提条件なし」という表現が使われることが明らかになったため、トルコ側もこれに抗議した。

■クリントンが説得

決裂の危機が増したため、ダヴトオール外相は、アンカラとコンタクトを取り、アブドゥッラー・ギュル大統領とレジェプ・タイイプ・エルドアン首相に説明を行った。説明の中では、「調印式後の声明を見送る」という形での妥協案が検討されていることがアンカラに知らされた。アルメニア側の抵抗が増したため、トルコは、スイスを通じ、「そうであるならば、調印式後の声明はともに見送ろう」という提案を公式に伝えた。この提案をアメリカ、ロシア、そしてフランスが、全面的に支持した。声明の発表にこだわったナルバンジャン外相は再び抵抗したものの、今回は、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官が圧力を加え、アルメニアを「演説なしの調印式」という結論に落ち着くよう説得した。その後、ダヴトオール外相とナルバンジャン外相は、カメラの前にたち、歴史的重要性を持った2つの合意文書に調印した。今後は、この合意文書の両国での承認プロセスに注目が集まる。

■アメリカとEUが具体的な支援を行う

アメリカ政府は、今後、(トルコとアルメニア)両国が意見の相違を克服するため、外交レベルで手助けをするつもりである。アメリカは、地域における平和と安定の確立を、優先順位の高い、(アメリカの)国益にかなうものとみなしており、二国間の関係正常化の過程に対し、最大級の支援を行っている。この枠組みで、アメリカのバラク・オバマ大統領は、アルメニアのセルジ・サルキシャン大統領に電話した。アンカラとエレバン(アルメニアの首都)の接近に直接かかわり、それを誘導したものの一つがEUである。ブリュッセル(EU本部)は、調印が、トルコとEU、そしてアルメニアとEUの関係にとっても大変有益な貢献になると明確に述べている。

■分刻みの危機

17:30 トルコのアフメト・ダヴトオール外相とアメリカのヒラリー・クリントン国務長官が会談。
17:50 EUのハビエル・ソラナ上級代表、到着。
17:54 報道陣、調印式の行われる部屋へ移動。
17:55 フランスのベルナール・クシュネール外相、到着
17:58 ロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相到着。
18:20 トルコのアフメト・ダヴトオール外相、到着。
18:25 「危機の報せ」が来始める。
18:30 報道陣が調印式の行われる会場から追い出される。
19:39 EUが声明を発表し、「調印」を祝福。
19:47 アメリカのヒラリー・クリントン国務長官が来場。
19:49 アルメニア系歌手でアルメニアの駐スイス大使シャルル・アズナブール、そしてアルメニア代表団、来場。
20:39 EUが、「祝福」メッセージを撤回
20:10 危機が克服され、文書に調印するとの知らせ。
20:13 代表団が会場に入場。
21:17 調印。調印には5分しかかからなかった。

■最後の写真が多くを物語る

チューリッヒ大学は、昨日、たぶん、歴史上最も活発で、混沌とした一日を過ごした。全員が「この仕事はもう終わり」という雰囲気で笑顔を振りまきながら訪れたこの大学で、数時間後に起こることは、「小さな可能性」としてさえ考えられていなかった。調印式を主催したスイスのミッシェリーヌ・カルミー・レイ外相が初めて相対した賓客は、EUのハビエル・ソラナ上級代表であった。ソラナ代表は、いつもどおり、今回も暖かい態度を示していた。それに続いて到着したフランスのベルナール・クシュネール外相と、ロシアのセルゲイ・ラヴロフ外相も、二カ国が調印というステージにまでたどり着いたことに喜んでいることをはっきり示す態度をとっていた。

こうなると、次は、関係正常化プロセスの鍵を握るアメリカのヒラリー・クリントン国務長官の登場が待たれた。しかし、ここからが長かった。なぜなら、調印式に関して問題が発生したとの情報を得たクリントン国務大臣は、いったん会場に向かったにも関わらず、瞬時に判断して引き返し、ホテルに留まったからだ。危機の報せが届き始めた状況のなか、トルコのアフメト・ダヴトオール外相は、式典会場に到着した。出迎えのときに、スイスのカルミー・レイ外相にキスしなかったただ一人の男性外相は、ダヴトオール外相だった。

(調印が見送られる)危険性が高まり、クリントン国務大臣とナルバンジャン外相がすぐには、式典に来ないことがわかると、式典の準備は繰り延べとなり、式典を行う予定の会場からは報道陣が追い出された。この後は、完全な混沌と、誤った情報が乱れ飛ぶなかで時が過ぎた。国の代表団からは米粒ほどの情報も漏れてはこず、絶望したスイスの担当者は、報道センターと化したホールのスクリーンに、式典会場に関する映像に代わって、(サッカーの)試合の映像を映し始めた。

約3時間の待機の後、式典会場へ入場した際に示された写真は、多くのことを物語るものだった。式場では、笑みを浮かべ、自信に満ち、ゆったりとした表情のダヴトオール外相に対し、困った状況であることがその表情から読み取れるナルバンジャン外相の姿があった。ナルバンジャン外相は、まるで関係改善の合意文書ではなく、死を命じる勅令にサインをするかのようだった。

■EUのオフサイドプレー

EUも、トルコとアルメニア間の合意文書調印を心待ちにしていたものの一人である。EUは、この問題をいかに重視しているかを示すため、書面の形で表明文を用意していた。表明文には、欧州委員会のベニタ・フェレーロ=ヴァルトナー対外関係担当委員と、オルリ・レーンEU拡大担当委員のメッセージも添えられていた。調印日が土曜日であることも関係し、事前に準備されたこの声明文は自動配信設定がされ、現地時間18時以後に公開されるよう準備されていた。EUの祝福の表明文は、設定されていた通り、18時以降、記者のEメールへ届き始めた。しかし、メッセージが(記者に)届いた瞬間は、危機が頂点に達した瞬間だった。遅きに失したとしても、この間違いに気づいたEUは、これに続いて新たなメッセージを送り、初めのメッセージを紙面に載せないよう要請した。しかし、この二番目のメッセージの直後に、(トルコとアルメニアの)合意が成立し、EUは、初めの祝福のメッセージをもう一度送信しなければならなくなった。

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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:17630 )