望まれなかった子の死―ビルゲ村44人殺害事件余波
2009年11月05日付 Milliyet 紙

 マルディン県ビルゲ村の殺害事件の遺族、アスマン・チェレビさんの赤ん坊が死亡した。赤ん坊の父親は44人の殺害事件を起こしたチェレビ一家の一人であった。子供の死は「殺害なのか」という疑問が上がっているが、病院関係者によると、子供が病院へやってきた時には母親のお腹の中で死亡しており、帝王切開にて死亡した状態で取り出されたという。

 マルディン県ビルゲ村で44名が殺害された直後、夫が殺害側一家であったために、妊娠していたが離婚した22歳のアスマン・チェレビさんが出産を迎えたが死産であった。

 2009年5月4日の夕方、マズダー・ビルゲ村の結婚披露宴で銃撃により44人が死亡した。銃撃を受けた一家の娘であり、兄弟が銃撃を実行したとして逮捕されたシュクリュ・チェレビの妻でもある一児の母親(当時妊娠3ヶ月で22歳)のアスマン・チェレビさんは、村を去った夫について行かず実家に残ることを決意した。アスマン・チェレビさんは1歳半の息子、カーディル・チェレビ君を、より安全な場所へ移り住む夫のシュクリュ・チェレビさんに預け、自分は村で親族と生活を始めた。アスマン・チェレビさんは、当時の報道陣への説明では、「私の父親は私よりも小さな息子カーディルを夫に委ね、私は父親のもとに戻るよう望んだ。カーディルに何かあれば分かるだろう、と父親が言うので、私も息子を夫に預けた」と話した。

 ビルゲ村に住むアスマン・チェレビさんは先週の日曜日に、お腹の中の子供が一切動かないことに気付き、マルディン産婦人科病院へ近親者らに連れて来られた。ここでの検査で、女の子の赤ん坊がお腹の中で死亡していることが判明し、帝王切開で母体から出された。赤ん坊は最初の検診では何の異常もなかった。母親のチェレビさんは4時間病院で静養し、退院した。帝王切開で母体から取り出された赤ん坊は家族に引き渡され、ビルゲ村葬儀場に埋葬された。

 赤ん坊の死に疑惑が持たれている中、保健省と警察による捜査が開始された。

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( 翻訳者:永井ひとみ )
( 記事ID:17818 )