Ismet Berkan コラム:政党への解党命令は合法か
2009年12月12日付 Radikal 紙

憲法裁判所は、DTPに対して全会一致で解党命令を下した。
解党命令の発言の後、この決定についてすぐに様々な見解が噴出した。コメントする人があまりに多いため、テレビ各局はコメンテーターに対し、「見解を何文かでまとめるように」とさえ言っている。
(様々な見解については)解党命令が下される前からあふれていたが、判決の後には、車一台分もの意見が述べられ、「判決は合法だが、裁判所は政治的な決定を下すべきであって、解党命令を発するべきではなかった」と言う者もいた。

この見解はここのところ、ずっと話題にのぼっていた。つまり、「法」は解党を必要としていたが、恐らく裁判所は政治的な決定を下し、解党はしないだろう、と観測されていた。

***

まず、ひとつ簡潔な事実を強調しよう。すなわち、憲法裁判所の解党裁判におけるあらゆる決定は、法的というよりは、むしろ政治的なものであるということだ。
なぜなら解党裁判は、犯罪裁判には似ても似つかないものであるからだ。そう、検事は起訴状を書き、その主張を裏付けるであろう証拠を添えるが、その証拠は犯罪裁判で提示されるものと同じ種のものである必要はない。
つまり、アフメト・チュルクDTP党首に対して、「『テロ組織への支援及び保護』による罪」によって重罪裁判で裁判が開かれたとしたら、その場合、検事は非常に具体的にチュルク党首とクルド労働者党(PKK)の関係を証明する証拠を提示する必要があるが、同じ種の裁判がアフメト・チュルクの「党」に対して開かれた時、前述のものほど具体的な証拠の必要無しに、裁判所は法的な決断を下すことができる。
同様のことは公正発展党(AKP)の解党裁判においても見られた。そこでは証拠はそれほど具体的なものではなく、裁判所は決定をこれらに基づいて下した。

***

解党裁判における証拠の性格というのは、そもそもそれ自体がひとつの問題である。なぜなら、「証拠」と呼ばれるものは、一般的には発言や演説などから成る。
それでは、その発言や演説が罪であるかどうか我々にはわかるのだろうか?我々にはわからない。というのも、発言や演説をするのはたいてい代議士であって、その発言や演説が理由で罪が言い渡されても、議員特権によりいかなる法的措置も取られない。

そして、罪なのかかどうかが裁判所の判決によって明確にされていない発言は、憲法裁判所の解党判決及び有罪判決において、証拠とすることができる。

***

このような欠陥によって、憲法裁判所の解党裁判における判決は、法的というよりもむしろ政治的決定と言えるものになる。裁判所は、判決を下した際にひとつの法律を作ったことになる。
例えば、裁判所は美徳党(FP)を解党させるとき、スカーフの着用の自由を求めた行動は政教分離に反する行為だと言った。しかし、スカーフ着用の自由が守られたからを主張したからといって、犯罪裁判所で裁かれ、有罪となったものは、誰もいない。
しかし、憲法裁判所がこれを解党理由としたときから、自らひとつの法律を作ったことになった。党はもう以前のようにはスカーフ着用の自由を公然と主張することができなくなった。

***

政党の墓場と化している我が国で、諸政党は、憲法裁判所の判決理由のせいで、どんどん狭い場所で政治を行うはめになっている。
恐らく、ここ30年間の間に、わが国ほど解党が行われた国はないだろう。
トルコ民主主義はこの問題に解決策を見つけなければならない。なぜなら、解党されたからといってその政治的思想が無くなったことなどないことは、我々皆が知っていることだ。DTPは、解党させられるずっと前から、「予備」の党を、とっくにつくっていた。今、代議士や市長はすぐにその政党に移り、今までやってきたことを(代議士が2人減った状態で)引き続き行っていくだろう。

***

裁判所の判決がトルコの民主主義に対する一種のクーデターだとするステレオタイプの見方があり、これはよく用いられているものである。
しかし、トルコが民主主義の国なら、恐らくそういう言い方もできるだろう、つまり、これはクーデターだと。しかし、民主主義ではないから、判決の影響もあまりなく、何日かは大騒ぎになっても、その後皆いつものように歩み続けるのだ。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:津久井優 )
( 記事ID:18085 )