犯罪多発に市民の感覚が麻痺
2010年01月06日付 Jam-e Jam 紙

【社会部:マルヤム・ハッバーズ】13年前の今日、テヘランのガンディー通りである凄惨な事件が発生した。1375年デイ月16日〔1997年1月5日〕のことだった。恋人同士だという16歳の若者シャーフロフ〔男〕とソマイイェ〔女〕の2人が共謀して、11歳と9歳になるソマイイェの弟・妹を父の自宅の風呂場で、残酷な方法で殺害し、さらにソマイイェの母親の殺害計画も立てたのである(母親殺害計画の方は、計画実行の直前に殺人事件が露見して未然に防がれた)。

 事件発生から13年が経った今も、彼らの動機は全く不明だ。彼らは遺族(ソマイイェの父)が〔同害報復刑を回避することに〕同意したため、絞首刑を免れ、代わりに数年間の禁固刑が科せられた。

 当時、この事件は社会を震撼させ、皆が皆シャーフロフとソマイイェのことを話題にしたものである。二人の若者がこのような殺人に手を染めることができるなどと信じることは、多くの人にとって困難であった。キオスクにならぶ新聞の紙面には、ガンディー通り殺人事件の詳細が事細かに語られていた。二人の若い殺人犯を裁く法廷の様子も、微に入り細に入って報じられた。犯罪学者や心理学者も、二人の発言を一つ一つ丹念に分析していた。

 それから13年、シャーフロフとソマイイェは刑期を終え、この世界のどこかでひっそりと暮らしている。しかし、ここで見逃してはならないことが一つある。それは、血と犯罪のニオイが漂う報道に触れても、当時のようには誰も驚かなくなったのはなぜか?という問いである。毎日のように新聞の事件面で犯罪ニュースを読んでも、以前のように動揺することがなくなったのはなぜか?この13年の間に何が起こったというのだろうか?

犯罪事件の続発

 工場経営者の男性の息子(20歳)が、ある娘に恋をした。しかし父から交際を反対され、恨みを募らせた息子は、〔父親の殺害という〕目的達成のために、1500万トマーン〔約150万円〕で人殺しを雇った。ある日の朝、資産家の男性は車で外出しようとしたところ、2発の銃弾を受け、殺害された。

 24歳になる女が、妻子持ちの男性と恋仲になった。母親から交際を反対されると、女は母親をナイフでめった刺しにして殺害した。

 ある若い娘が、男と秘密の関係をもった。両親にこの関係がバレたことを知った娘は、両親の殺害を決意、ナーセル・ホスロウ地区にあるブラックマーケットで毒薬を入手し、両親の食事に少しずつ毒を盛った。

 6人の子供がいる女性が帰宅のために流しのタクシーに乗った。すると運転手は突然行き先を変え、町の周辺にある沙漠地帯へと向かった。運転手は待ちかまえていた5人の友人ととともに、女性を強姦した。

 これらは、毎日のように読み聞きするニュースの一例である。われわれはこうしたニュースに鈍感になり、シャーフロフとソマイイェの事件の時のように、詳細を追い求めようとはしなくなっている。昔からそうであるかのように、こうしたニュースを聞いても、心が痛まなくなってしまっているのだ。

 最近犯罪ニュースが多くなり、新聞や雑誌もこうした犯罪を多く取り上げている。そのためか、以前にどのような事件が起きたのか、記憶することも難しくなっている。月曜日、強姦の罪で3人の犯罪者がヴァラーミーンで処刑されたが、この事件はどんな事件だったのか?ギヤームダシュトで起きた事件では、6人の受刑者は信じがたいことに、処刑される代わりに100回の鞭打ち刑で済んでしまったが、彼らの犯罪は正確にいつどこで起きたものだったのか?

〔中略〕

繰り返される犯罪、市民の無関心

 〔‥‥〕ここで議論したいのは、社会を震撼させるような犯罪ニュースに対して人々が普通の反応しか示さなくなっているのはなぜか、その原因についてである。モハンマド・エルファーン判事は、犯罪が繰り返されていることがその要因になっていると指摘する。

 行政公正院第22支部長で、殺人特別判事を務めたこともあるエルファーン氏は、本紙に次のように述べている。
人々にとって重大犯罪の発生は普通のことになっており、犯罪に対する嫌悪感がなくなってしまっているという主張は、正しいとは言えない。しかし、人々が重大犯罪についての報道を聞いても驚かなくなっているというのは、正しい指摘だろう。

例えば、新車が開発されても、事故によるものか故意によるものかは別として、この車によって人が殺されるというようなことを想像する人はいないだろうし、多くの人はそのような想像を嫌がるだろう。しかし今日、交通事故が繰り返され、死者も多くなっているため、人々はそのようなニュースを聞いても驚かなくなっているのだ。

 同氏はさらに、次のように続ける。
その他の重大犯罪についても、同じことが言える。つまり、ある重大犯罪のニュースを聞いて人々が楽しい気分になったり、あるいは嫌悪感をもたなくなったりしているなどと主張することはできないが、しかし犯罪が繰り返されることで、犯罪者やそれを遠巻きから見ている一般の人々から、犯罪に対する心理的・感情的な重荷がなくなってしまっている、あるいは少なくなってしまっているのは、確かだろう。

犯罪に鈍感になってしまうと‥‥

 犯罪学者のアリー・ナジャフィー=タヴァーナー博士も、同じ問題を強調している。同氏はこのことについて、本紙に次のように述べる。「現代にあっては、大都市に人口が集中し、物理的に人々が近接し、自然環境との関係が希薄化し、経済的・情緒的問題が発生しているために、犯罪が多発化し、一般化する素地が用意されてしまっている。メディアも事件、なかでも集団間・家族間の暴力事件の詳細を報道することを通じて、こうした情報に人々の関心を向けさせる役割を果たしている」。
我が国では、人口の増加や農村出身者・外国人の〔都市部への〕流入、文化的侵略、貧困、失業、〔麻薬・アルコール〕中毒によって、犯罪、特に肉体的な犯罪が増加する素地が用意されており、それは危険な水準にある。犯罪がさほど多くないときには、その詳細は専門家や一般市民の耳目を集めやすいが、しかしこうした犯罪が多発し、一般化・常態化するようになると、それが及ぼす心理的な影響も小さなものになり、然るべきほどには人々の注意を喚起しなくなってしまう。

このような状態にあると、人々は様々な犯罪に慣れてしまい、〔犯罪をなくそうとするのではなく、それを当たり前のこととして〕受け容れてしまう。かつては、小児強姦のニュースなど報じられようものなら、〔社会の治安に対する〕恐怖心が生じ、安心感も後退し、同時に〔被害者への〕同情も生まれたものだが、今やこうしたことも少なくなってしまった。

 同氏は重大犯罪に対する感情的・情緒的・心理的反応が変化してしまった別の要因として、「暴力犯罪の増加・多様化、経済的・社会的問題の存在、博愛主義的な意識の希薄化、家族の絆の弱体化、そして倫理的価値観の後退が人々の無関心に強い影響を及ぼしている」と指摘している。

失われた問題意識

 ナジャフィー=タヴァーナー氏はこのように述べた上で、社会に〔犯罪への〕敏感さを取り戻すことは不可能だと指摘しつつ、現在の状況のさらなる悪化を防ぐことは可能だとの見方を示す。同氏は次のように述べている。
〔良き〕文化を作ることで、博愛主義的な感情や、コミュニティが抱える問題の解決に積極的に参加しようとする意識を強化させることは可能だろう。しかし忘れてはならないのは、社会やライフスタイルの変化に応じて一部の感情や価値観が変わっていくのは自然なことである、ということだ。過去の社会的・精神的・倫理的状況を取り戻すことはできないのである。一番いいのは、〔社会・精神〕病理学を用い、〔新たな〕社会的・文化的システムを提起することで、現在の状況の改善に取り組むことだろう。


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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:18247 )