ローマ教皇襲撃犯メフメト・アージャ、30年の刑期をおえ、ついに釈放(1)
2010年01月18日付 Milliyet 紙


新聞記者だったアブディ・イペキチ氏を殺害し、ローマ法王暗殺を企て有罪となったメフメト・アリ・アージャは、およそ30年の獄中生活を終えて釈放された。GATA(ギュルハネ軍部医療学校)で診療をうけたアージャには、「兵役に不適格」の診断が下った。アージャは4時間半の診療のあと、弁護士や親族に連れられて病院を離れ、宿泊予定のホテルへ向かった。

弁護士のギョクアイ・チャーラルアルプ氏は、メフメト・アリ・アージャに、「兵役に不適格」との委員会決定が行われた、と発表した。アージャは、釈放ののち、兵役部局に連行されるとみられていたが、実際には警官のエスコートつきでGATAの精神科局に連れて行かれた。そこで13時30分に診療がはじまり、その後、病院の裏口から建物を離れたことがわかった。アージャが建物を出る前に、警官たちは、GATAから離れていた。アージャの弁護士であるギョクアイ・チャーラルアルプ氏は、「兵役に不適格」との委員会決定が行われた、と発表した。一方、アージャが病院にいある間、病院の入口では、検問が行われていた。

2006年にGATAハイダルパシャ大学病院から提出された「兵役に不適格」という診断結果は、国防省保健局によって承認されており、アージャは、スィンジャン刑務所F棟から釈放されたのち、(確認の)健康診断のためにGATAにつれていかれていた。

■記者殺到のため、記者会見はキャンセル

メフメト・アリ・アージャは、窓を黒いフィルムで覆った白いバンに乗ってGATAをはなれ、アンカラのカヴァクデレにあるシェラトンホテルに向かった。アージャは、ホテルの中庭でしばらくバンに乗ったまま待機し、そこで記者会見をする、という予定が発表されたた。このため、ホテルの前に詰め掛けた報道陣の一部は、記者会見に備え、整列していた。しかし、一部のメディアがバンを取り囲んだため、大混乱がおきた。報道陣が殺到したためアージャがもみくちゃにさえる危険が生じ、やむをえず、アージャはホテルの建物内に入った。

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( 翻訳者:木村納菜 )
( 記事ID:18287 )